永井直幹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代後期(幕末)から明治時代 | |||
生誕 | 文政12年7月3日(1829年8月2日) | |||
死没 | 明治15年(1882年)9月6日 | |||
別名 | 伝八郎(通称) | |||
戒名 | 重照秀幹実現院 | |||
官位 | 従五位下、播磨守、若狭守 | |||
藩 | 大和新庄藩主 | |||
氏族 | 永井氏 | |||
父母 | 父:永井尚佐、母:浦江 養父:永井直養 |
|||
兄弟 | 永井尚典、永井直幹 | |||
妻 | 正室:渡辺潔綱の娘・里 | |||
子 | 養子:永井直壮 |
永井 直幹(ながい なおもと)は、江戸時代の大名。大和新庄藩の第7代藩主。永井家宗家11代。
文政12年(1829年)7月3日、美濃加納藩主・永井尚佐の七男として生まれる。嘉永3年(1850年)10月、第6代藩主の直養が隠居したため、その養子となって後を継いだ。嘉永4年(1851年)に日光祭祀奉行、嘉永6年(1853年)に大坂加番、安政5年(1858年)に大番頭などを歴任した。文久3年(1863年)12月、家督を養子の直壮に譲って隠居し、明治15年(1882年)9月6日に死去。享年54。
|
|
|