水無瀬神宮
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水無瀬神宮 | |
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拝殿 |
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所在地 | 大阪府三島郡島本町 |
主祭神 | 後鳥羽天皇 土御門天皇 順徳天皇 |
社格等 | 官幣大社・別表神社 |
創建 | 1240年(仁治元年) |
例祭 | 12月7日 |
水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神宮。旧社格は官幣大社。旧称は水無瀨宮。
境内には、環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がある
目次 |
[編集] 歴史
水無瀬神宮は、後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立されたものである。承久の乱で隠岐に流されそこで没した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇の霊を祀ったのに始まる。1494年(明応3年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の霊を迎え、水無瀨宮の神号を奉じた。
この水無瀬神宮は、豊臣秀吉に寄付されたという説がある。
江戸時代まで仏式で祀られていたが、明治時代に神式に改められ、水無瀨宮(のち水無瀬神宮)に改称した。後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで亡くなった土御門・順徳両天皇の神霊を配流地から迎えて合祀した。
1873年(明治6年)に官幣中社に、1939年(昭和14年)に官幣大社に列格した。
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 重要文化財(国指定)
- 客殿 - 桃山時代、桁行11.8m、梁間10.9m、一重、入母屋造、桟瓦葺
- 茶室(燈心亭) - 後水尾天皇より下賜されたと伝えられる江戸初期の数奇屋風書院。桁行7.6m、梁間5.2m、一重、寄棟造、茅葺、東面庇付、こけら葺。内部は三畳台目の席と、同面積の勝手とを並べた構成になっている。松、竹、梅をはじめとする様々な材種を用いた繊細な意匠が随所に見られ、江戸初期における貴族(公家)好みの代表的な茶室として知られる。
- その他
- 本殿 - 京都御所の旧内待所の旧材を用いて寛永年間に移築したもの
- 拝殿
- 神門 - 大阪府指定重要文化財、桃山時代(1592年-1596年)、薬医門造。石川五右衛門が祀られた名刀を盗みに入ろうとした時に残した手形と称するものがある。
[編集] 美術工芸品
- 国宝
- 紙本著色後鳥羽天皇像 - 鎌倉時代の似絵(にせえ、肖像画)の代表作。承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は出家して隠岐に配流される前に、絵師藤原信実(のぶざね)に命じて自身の出家前の肖像画を描かせたことが『吾妻鏡』に見え、その絵にあたるものという。
- 後鳥羽天皇宸翰御手印置文 - 「宸翰」は天皇直筆の意。「置文」は遺言とほぼ同意。1239年(暦仁2年)、隠岐に流されていた後鳥羽上皇が死の13日前に書いた自筆の遺言状。文面には上皇の手印(手形)が鮮明に付されている。歴史上著名な天皇の自筆遺言状としてきわめて貴重な史料である。
- 重要文化財
- 後鳥羽院置文案文
- 後鳥羽院宸翰消息
- 後村上天皇宸翰願文
[編集] 所在地
〒618-0011 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目
[編集] 交通機関
[編集] 周辺情報
[編集] 関連項目
- 石川五右衛門(水無瀬神宮に石川五右衛門がつけたといわれる手形が残っている。)