水晶宮
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水晶宮(すいしょうきゅう、英語:The Crystal Palace)は、1851年にロンドンのハイドパークで開かれた第1回万国博覧会の会場として建てられた建造物。ジョセフ・パクストン設計。鉄骨とガラスで作られた巨大な建物であり、水晶宮という名称はイギリスの雑誌『パンチ』のダグラス・ジェロルドによって名づけられたものである。
万博終了後は1854年にロンドン南郊シドナムに移築、ウィンター・ガーデン、コンサート・ホール、植物園、博物館、美術館、催事場などが入居した複合施設となり、多くの来客を集めていた。
1870年代頃から人気に陰りが見え始め、1909年に破産した。その後は政府に買い取られ、第一次世界大戦中軍隊の施設として利用され、戦後一般公開が再開されたが、1936年11月30日に火事で全焼してしまった。
焼失後、水晶宮は再建されることはなく、現在ではロンドン南郊の地名、水晶宮がかつて存在した地にある公園とスポーツセンター、そしてロンドンに本拠地を置くサッカークラブチーム、クリスタル・パレスFC(Crystal Palace F.C.)にその名をとどめるのみとなっている。