毛カイ
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本来の表記は「毛玠」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
毛玠(もうかい、?-216年)は、中国後漢末期に曹操に仕えた武将。字は孝先。子は毛機。
陳留郡平丘の人。優れた政治手腕を持ち、曹操から治中従事として招かれた。曹操が後漢の皇帝・献帝を保護したときは、これを傀儡として利用するように進言している。後に曹操が丞相になると、その補佐官となって官吏の人事担当を任された。毛玠は清廉潔白だったため、官吏には清廉な人物しか登用しなかった。このため、周囲の人々から毛玠に対して不満が出たが、このとき、曹操は毛玠をかばっている。それほど信頼が厚かったということであろう。
しかし216年8月、親友の崔琰が曹操の魏王就任に反対して自害を余儀なくされると、その経緯から毛玠も曹操を恨んでいると丁儀に讒言され、投獄されてしまう。桓階の弁護により、免職だけで助命されたが、そのときのショックがもとで同年のうちに死去してしまった。