丁儀
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丁儀(ていぎ ?-220年)は、後漢末期から魏初期にかけての人物。字は正礼。曹操の竹馬の友人であった司隷校尉の丁沖の長男。官職は西曹掾。
[編集] 略伝
豫州沛国の人。弟の丁廙と共に曹操の子・曹植に仕えた。丁儀は文才に優れており、曹操からもその才能を評価されて、曹操の娘である清河長公主(曹昂の同母妹)を丁儀に嫁がせようという話があった。しかし、太子の曹丕が「丁儀の容貌は斜視(眇=びょう、片目が少さいこと)なので、この際は姉上には子林(夏侯楙)に嫁がせるのがよろしいかと…」という理由で縁談に反対したために、曹操も頷いて丁儀と自分の娘の縁談を破談にしたという。だが、後に丁儀が改めて有能だと確認すると「やはり娘を丁儀に嫁がせるべきであったわ…」と大いに後悔したという。このため、曹操の晩年に曹丕・曹植による後継者争いが起こると、丁儀は曹植擁立に奔走し、曹丕を皇太子から廃そうと何度も画策したと言われる。220年に曹丕が王位に即位すると、弟の丁廙と逮捕されて、処刑された。だが、文才に富んでいた彼の死は、多くの人から惜しまれたと言われている。