檜與平
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檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年)は、徳島県出身の日本陸軍軍人。戦闘機搭乗員。最終階級は陸軍少佐。敵戦闘機との空戦によって右足下腿部を切断されるが、義足を付けて戦列に復帰し、“義足のエース”として知られる。
[編集] 経歴
- 1940年 陸軍航空士官学校卒業。飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)付。
- 1941年 東江作戦参加。同年12月、マレー航空撃滅戦に参加。
- 1942年 1月、シンガポール航空撃滅戦参加。2月、パレンバン航空撃滅戦参加。ジャワ航空撃滅戦参加。3月、ビルマ航空撃滅戦参加。
- 1943年 11月、インド洋上の空戦で被弾、右足下腿部を切断される。
- 1944年 10月、明野陸軍飛行学校教官。
- 1945年 6月、少佐に昇進。飛行第111戦隊大隊長として本土防空にあたる。
[編集] 著作
- 『つばさの血戦 - かえらざる隼戦闘隊』光人社NF文庫、1995年。
[編集] 関連項目
- 加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)