樋口龍美
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県朝倉市 |
生年月日 | 1976年5月12日(32歳) |
身長 体重 |
183 cm 83 kg |
守備位置 | 投手 |
投球・打席 | 左投右打 |
背番号 | 21 |
初出場 | 1軍出場なし |
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樋口 龍美(ひぐち たつみ、1976年5月12日-)は、日本の元プロ野球選手で、現在は中日ドラゴンズのサブマネージャーである。力強いフォームから長い腕をしならせ、140km/hを超える速球とキレのある変化球を駆使する投球スタイルであった。
目次 |
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m83cm、83kg
- 投打 左投右打
- 出身地 福岡県朝倉市
- 血液型 A型
- 球歴・入団経緯 日田林工高-九州国際大-JR九州-中日ドラゴンズ(2005年 - 2007年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 2004年・自由枠
[編集] 人物
- 大学通算20勝を挙げ、1999年JR九州に入社した。当時のJR九州では田崎昌弘がエースとして活躍していたが、注目の左腕として期待された。しかしなかなか結果を残せず、腰の回転を意識するために一時はアンダースローにも転向した。2003年に再びスリークォーターに戻してからは球速も伸び、日産自動車九州の補強選手として都市対抗初出場を果たすなど実績を残した。
- 2004年の都市対抗九州予選ではエースとしてチームの九州第一代表獲得に貢献し、樋口自身も予選MVPに選ばれた。大会でもチームの勢いは続き、JR九州としては門司鉄道局時代以来68年ぶりのベスト8を達成した。秋の日本選手権九州予選でも第二代表を獲得したが、大会では1回戦で敗れた。しかしこの1シーズンで一躍社会人球界屈指の左腕として名を挙げ、自由枠で中日ドラゴンズに入団した(中日が自由枠で獲得した最初にして最後の選手)。
- 29歳でのプロ入りで即戦力として期待されていたが、一年目の2005年シーズンはヘルニアのために一軍登板無し。年俸大幅ダウンという厳しい結果だった。
- 即戦力入団だっただけに二年目となる2006年は選手生命をかけた年だったが、同じく一軍登板無しに終わる。
- 活躍を期待された2007年は、二軍では先発で8回を無失点と結果が出た試合もあったが、一軍に上がることができず、10月29日に球団から戦力外通告を受け、翌年から球団職員(一軍サブマネージャー)となった。なお11月30日付で自由契約公示された。
- 球界では珍しい、左投げ右打ちであることも特徴のひとつであった。
- 選手時代の愛車は社会人時代から乗り続けている「トヨタ・シエンタ」という庶民派であった。
[編集] 年度別投手成績
年度 | 球 団 |
背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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2005年 | 中日 | 21 | 一軍登板なし | |||||||||||||||||||
2006年 | ||||||||||||||||||||||
2007年 | ||||||||||||||||||||||
通算成績 | 一軍登板なし |
[編集] 関連項目
中日ドラゴンズ 2004年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:樋口龍美 / 2巡目:中田賢一 / 4巡目:川井進 / 5巡目:鈴木義広 / 6巡目:石井裕也 / 7巡目:中村一生 8巡目:小山良男 / 9巡目:金剛弘樹 / 10巡目:鎌田圭司 / 11巡目:澤井道久 / 12巡目:普久原淳一 |