桂文福
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桂 文福(かつら ぶんぶく)は、落語の名跡。なお、当代は特に代数を名乗ってはいないが、恐らく上方での3代目に当たると思われる。
他に「文福」を名乗る落語家には、上方では3代目笑福亭福松(2代目文の家かしく)門下の文の家文福(1992年 - 1961年7月13日)、東京では6代目桂文治門下の桂文福(1863年7月4日 - ?、後の桂文左衛門)らがいた。
桂 文福(かつら ぶんぶく、1953年3月31日 - )は、落語家(上方噺家)。本名: 田中登。上方落語協会会員(2007年1月現在、理事・会誌『んなあほな』編集長)。出囃子は「鞠と殿様」。
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[編集] 人物
東西落語界唯一の河内音頭取り。和歌山県芸能県人会「ワ!つれもていこらーズ」のメンバー。角界との交流も深く、大相撲評論家としても活躍し、相撲甚句を得意とする。特に維新力浩司と親しく、彼が結婚した時は仲人を務めた。アマチュア相撲の四股名は「玉双津」(たまふたつ)。
丸々とした体格に愛嬌のある人柄で、若手の頃から人気者として活躍した。吉本興業所属時代には、関西ローカルのテレビ番組にも多数出演。「トホホー」や「ター」の決め台詞は、お茶の間でもおなじみだった。
吉本からの独立後は、マスコミへの出演度は格段に減少したが、音頭取りや落語家としての活動は却って盛んである。現在は上方落語協会の牽引役として、表舞台と裏方の両方で活躍している。
[編集] 経歴
- 1953年(昭和28年) - 和歌山県那賀郡桃山町(現紀の川市)にて出生。
- 1971年(昭和46年) - 和歌山県立粉河高等学校卒業後、上阪。大日本印刷にてサラリーマン生活を送る。
- 1972年(昭和47年) - 3代目桂小文枝(のちの5代目桂文枝)に入門。入門の時に和歌山弁で入門を願いを出して、小文枝からこってり絞られた事は有名。
- 1989年(平成元年) - 吉本興業から独立し、自身の事務所「文福らくごプロモーション」を設立。
[編集] 受賞歴
- 1981年(昭和56年) 「第2回ABC落語漫才新人コンクール」審査員奨励賞
- 1983年(昭和58年) 「第11回日本放送演芸大賞」ホープ賞
- 1984年(昭和59年) 「第12回日本放送演芸大賞」ホープ賞
- 1985年(昭和60年) 「朝日放送バイプレイヤー賞」
- 1993年(平成5年) 「和歌山県文化奨励賞」
- 1996年(平成8年) 「和歌山県桃山町民特別功労賞」
- 2001年(平成13年) 「和歌山県桃山町第1回ふるさと文化賞」
[編集] 役職
(上記以外のもの)
- 関西演芸協会役員
- 和歌山出身芸能県人会(紀州つれもて会)会長
- 和歌山刑務所篤志面接委員
- わかやま未来づくり応援団
- 新居浜マイントピア大使
- ボランティアグループ テントウムシ代表理事
- 新撰落語もぎた亭(新作落語グループ)メンバー
[編集] 弟子
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 協会員プロフィール:桂文福 - 上方落語協会公式プロフィール
- 桂文枝「あんけら荘」 第六章 文枝一門銘銘伝 文福 - 桂文枝公式サイト内の記事
[編集] 外部リンク
- 文福部屋(公式サイト)