柳原前光
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柳原 前光(やなぎはら さきみつ、1850年(嘉永3年) - 1894年(明治27年)9月2日)は、山城国京(京都)出身の公家で、後に伯爵。大正天皇の生母・柳原愛子の兄。
柳原家は日野資明を祖とする藤原北家の支流・日野家の流れを汲む。家格は名家。父は議奏・権中納言正二位 柳原光愛。
[編集] 経歴
明治天皇に仕え大正天皇の生母である柳原愛子は前光の妹である。白蓮事件で有名になった歌人の柳原白蓮は前光の次女(妾で芸者”おりょう”との間の子)である。また、前光の長女・信子は入江為守子爵に嫁いだので、昭和天皇の侍従長でエッセイストとしても有名な入江相政は前光の孫にあたる(相政は入江為守・信子夫妻の三男)。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争では東海道鎮撫副総督となる。同年3月には天領であった甲斐国へ入国し、甲府城で職制を定め、同年11月まで城代を廃し甲府鎮撫使を務めている。明治維新後は外務省に入省、外務大丞として日清修好条規を締結する。西南戦争では勅使として鹿児島入りし島津忠義・島津珍彦と会見している。
その後元老院議官となり刑法・治罪法審議に従事し、駐露公使・賞勲局総裁・元老院議長を務める。さらに枢密顧問官となって皇室典範の制定に関与したが45歳で死去。