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柏の葉 - Wikipedia

柏の葉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柏の葉(かしわのは)は、千葉県柏市にある地区の名称。名称の由来は、千葉県柏市を組み合わせたとされる。

目次

[編集] 概要

柏の葉周辺地区(若柴、十余二等)も呼ばれる。東京大学三極構造のうち最先端領域開発拠点・国際キャンパスと位置付けられた柏キャンパスを始め、同柏Ⅱキャンパス千葉大学環境健康フィールド科学センター、柏の葉公園国土交通大学校等があり、文教都市と言われる。施設からは徒歩で行けるような近距離に飲食店小売店等が少なかったが、つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅2005年に開業し、現在開発が急ピッチで進んでいる。ららぽーと柏の葉2006年11月22日に開業した。

柏の葉1~3丁目は、多くの住宅が軒を連ねている。一戸建て住宅がほとんどだが2階建てアパートやマンション、店舗兼住宅も少数ながら存在する。

またこの住宅街の中を通る「ふれあいの小道」では毎年8月第3土曜日にこの地域の住民が主催する「柏の葉まつり」が開催される。

[編集] 歴史

この場所は江戸時代までは高田牧(小金牧)として馬を放牧していた土地だった。明治維新による東京窮民救済の一環として開墾され、畑作を中心とした農地となった。その後、柏周辺の地域振興策として軍施設の誘致計画が持ち上がった結果、要地防空のための施設を首都周辺に求めていた陸軍との思惑が一致し、昭和13年に1,500m滑走路と50万坪以上の面積を持つ陸軍柏飛行場(東部第105部隊)が建設され、敗戦までに5つの飛行戦隊が基地として使用した。空襲が激化した大戦末期には藤ヶ谷飛行場(現・海上自衛隊下総航空基地)や松戸飛行場(現・陸上自衛隊松戸駐屯地)と共にB-29の邀撃のための基地として使用されたほか、B-29邀撃を目的とした試作ロケット機「秋水」の開発実験にも使用された。

敗戦後、昭和20年10月から同年末まで米軍占領下にあり、同時に食糧不足解消のため引揚者や旧軍人、周辺の旧小作農などが入植、農地として受渡され開墾が始まったが、朝鮮戦争の勃発により再び米軍に通信施設用地として接収された。これに対し強い反発が起きたが、昭和29年に東京都中央区に所在していた月島無線送信所が(満潮時に海水の浸水・地盤の浸食が発生する等の理由から)この地に移転し、米陸軍柏無線送信所(柏トランスミッターステーション)としての業務が開始された。

当初は柏トランスミッターサイトと主に呼称されていたが、当時この基地を使用していた米陸軍極東コマンド通信役務大隊(C中隊)の前身、米陸軍第71通信役務大隊の隊員19名(20~17名の諸説がある)が、朝鮮戦争勃発直後に韓国で航空機の着陸事故により死亡したため、犠牲者のうち唯一の将校だったジム・トムリンソン(あるいはフランクリン・トムリンソン)大尉の名前をとって昭和30年頃にキャンプ・トムリンソンと名づけられた。地元では長い間「トムリンソン基地」の由来について、初代の基地司令官の名前を取ったとの定説があり、千葉県の戦争遺跡について書かれた書籍にも同様に書かれているが、誤りである。なお、東京都港区に所在した米陸軍中央コマンド極東部(現在の米陸軍赤坂プレスセンターの既返還部分で現在国立新美術館がある場所。返還後は東大生産技術研究所として使われた)には当時極東コマンド通信役務大隊の司令部及び司令部中隊とA中隊が所在しており、前述の航空機事故で死亡した第71通信役務大隊の隊員のうち、エルマー・ハーディ伍長の名前から「ハーディ・バラックス」と名づけられた。

同時に、米陸軍戦略陸軍通信隊(STARCOM)の主要中継局である埼玉県朝霞市のキャンプ・ドレイクを中核として、受信局である埼玉県新座市の大和田通信所と共に世界的な米軍の戦略通信網の施設として組み入れられ、送信局としてアンカレッジ、シアトル、サンフランシスコ、ホノルル、台北、ソウル、クラーク空軍基地(フィリピン)、沖縄といった米軍施設や飛行機で移動中のVIPなどに対する送信業務を行うようになった。

昭和38年には戦略陸軍通信隊が統括していた防衛通信システム(DCS)が空軍に移管されたため、翌年に施設の使用者と管轄権が米空軍に移ると、船橋通信所(旧海軍行田無線電信所)から米空軍第1956通信群OL-B(オペレーティング・ロケーションB)が移転し、米空軍柏通信所(柏コミュニケーションズ・ステーション)として使用されることになった。多くの文献や年表上で「昭和29年に米空軍柏通信所として開設」と誤った記述が見られ、広く一般にも認識されていると思われるが、正確には柏通信所が米空軍の管轄下に置かれたのは昭和39年7月1日からである。

当初基地内は囲障(フェンス)に囲まれた通信局や管理棟以外は、通行や農作業・居住が自由だったが、昭和37年にオペレーションエリア(送信局)の中心から半径1,000フィートの区域を米軍専用地区化(立入禁止)する計画が米軍当局から打診された。更に昭和40年前後から4本のアンテナ新設計画(米大統領と直通の通信回線を設置する目的と推測される)とその周辺を米軍専用地区化する計画も追加され、東京防衛施設局が民有地の全面買収を本格的に開始した。

これに対して再び強い反発が起きたが、最終的に道路は従来どおり通行可能とすること、国有防風林(農林省管轄で開拓時に植樹されたもの)は原則として現況のまま維持すること、米軍の帰責に属する道路の破損については当局が補修費用を負担すること、米軍提供施設用地として賃貸契約している民有地の賃料は増額支払いに努める、などの条件を定めた覚書が土地所有者代表と東京防衛施設局との間に交わされた結果、昭和52年まで民有地の買収が継続され、ごく一部を除き多くの開拓農民や居住者がこの場所を去る結果になってしまった。そして、柏通信所は米第5空軍司令部国外送信所として日本国内(沖縄を除く本土)最大規模の送信所となった。

その後、ベトナム戦況悪化などによる財政難から米軍の海外基地の縮小が本格化し、日本でも「関東計画」という在日米軍基地の集約移転が実施された。このとき、柏通信所も道路用地として土地が返還されたが、わずかな規模であり地元の失望は大きかった。しかし、東京都府中市の府中空軍施設(府中エア・ステーション)に所在していた在日米軍司令部・第5空軍司令部が昭和49年に横田基地へ移転した結果、府中空軍施設と関係が強かった柏通信所の機能・業務は同年11月にほぼ停止状態となり、翌昭和50年9月までにすべての米軍部隊が埼玉県の所沢通信施設(所沢トランスミッターサイト)に移転した。

さらに、昭和52年9月30日には柏通信所の中心部を除く南北に分断された大規模な土地が返還された。残された土地は米沿岸警備隊極東部の管轄に移り、船舶などの方向支援施設であるロランC局が建設される計画が持ち上がった。これに対し、地元各団体や革新勢力から核兵器搭載の潜水艦を支援する施設であり、有事の際は攻撃目標になる危険が高いとして強い反対運動が起きた。一方で、周辺地域への電波障害を防止する手段を実施することが技術的・財政的に困難なことから、米軍はロランC局の建設を中断し、地元の強い返還運動が実って昭和54年8月14日に全面返還に至った。

[編集] 柏通信所を使用した米軍部隊の変遷

1954~1955 "C" Company, Far East Command (FEC) Signal Service Battalion, 8235th Army Unit 

1955~1958 "C" Company, Far East Command (FEC) Signal Overseas Communication Battalion

1958~1960 "C" Company, Army Command and Administrative Network (ACAN) Facility

1960~1964 "C" Company, Strategic Army Communications (STARCOM) Facility

1964~1977 Operating Location B, 1956th Communications Group, Air Force Communication Service

1977~1979 Commander, Coast Guard Section, Far East (管轄権のみ・実際の使用は無し)

[編集] 施設

東京大学柏キャンパス
東京大学柏キャンパス

[編集] ギャラリー

[編集] アクセス

[編集] 鉄道

[編集] バス

  • JR常磐線柏駅西口より、東武バスイースト国立がんセンター行き・柏の葉キャンパス駅東口・西口行き)に乗車(系統番号柏44・西柏01・西柏02・柏09)。
    • 柏の葉地区の目的地により、「十余二」「柏西高校前」「柏の葉公園中央」「税関研修所」「柏の葉公園北」「東大前」「柏の葉公園」「柏の葉公園西」「柏の葉公園住宅前」「三井住宅前」「国立がんセンター」「一号近隣公園」「キャンパス駅入口」「柏の葉キャンパス駅東口・西口」「若柴西」の各バス停で下車。
  • 羽田空港より、東武バスイーストまたは京浜急行高速バス柏駅西口行き乗車、「柏の葉公園中央」「国立がんセンター」の各バス停で下車(乗車時間約1時間15分)

[編集] 自動車

[編集] 外部リンク


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