板倉勝顕
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板倉 勝顕(いたくら かつあき、文化11年5月3日(1814年6月20日) - 明治10年(1877年)1月8日)は、江戸時代後期から末期の大名で、陸奥国福島藩主。先代藩主・板倉勝俊の長男で、母は上杉治広の娘。重昌流板倉家第13代。正室は上杉斉定の娘。子は、板倉勝己(長男)、板倉勝英(三男)、酒井忠経室。従五位下、内膳正。
天保5年(1834年)、父の隠居により家督を相続。日米修好通商条約が締結され日本が開港に踏み切ると、藩内特産品の生糸は輸出品の主力となった。慶応2年(1866年)に隠居し、後を長男・勝己に譲ったが、実質的な藩政を主導し続けた。明治10年(1877年)死去。
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