松平義裕
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松平 義裕(まつだいら よしひろ、宝暦12年9月27日(1762年11月12日) - 寛政7年9月22日(1795年11月3日))は、江戸時代の大名。美濃高須藩の第6代藩主。
第4代藩主・松平義敏の次男。母は松平頼寛の娘。正室は徳川宗翰の娘・時姫。子は娘・薫(松平義居正室)。官位は従四位下、侍従、摂津守。
宝暦12年(1762年)9月27日生まれ。幼名は哲之助。安永6年(1777年)、先代藩主の兄・松平義柄が徳川治行として本家・尾張徳川家の徳川宗睦の養子となったため、その後を継いで藩主となった。寛政7年(1795年)9月22日、34歳で死去し、後を養嗣子の松平義当が継いだ。法号:本崇院殿清誉徳仁順明大居士。墓所:岐阜県海津市南濃町上野河戸の行基寺。
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