松原仁
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生年月日 | 1956年7月31日 |
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出生地 | 東京都板橋区 |
出身校 | 早稲田大学 |
学位・資格 | 商学士 |
前職 | 東京都議会議員 |
所属委員会 内閣役職 |
衆・内閣委員会理事、拉致問題等特別委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例東京ブロック(東京都第3区) |
当選回数 | 3回 |
所属党派 | 民主党(小沢グループ・川端グループ) |
党役職 | 東京都総支部連合会副会長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館702号室 |
ウェブサイト | 松原仁オフィシャルサイト |
松原 仁(まつばら じん、1956年7月31日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。東京都議会議員(2期)。松下政経塾(2期生)。兄は専修大学文学部教授の松原朗。尊敬する政治家は英国のマーガレット・サッチャー元首相である。松原の応援団長をつとめるのが作曲家のすぎやまこういちである。
目次 |
[編集] 来歴
1975年3月、東京都立豊島高等学校卒業。1981年3月、早稲田大学商学部卒業後、松下政経塾に入塾(2期塾生)。政界入りを決意して以来、新自由クラブ→自由民主党→新生党→新進党→自由党→民政党→民主党と政党を移籍している。
- 7月 東京都議会議員選挙(大田区・無所属)当選。
- 6月 東京都議会議員選挙(大田区・自由民主党)2期目当選。後に新生党へ
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(東京3区・新進党公認)落選。67,653票。
- 日本の歴史上初めての松下政経塾出身者同士の公選対決を経験。相手は早大の後輩でもある新党さきがけ現職宇佐美登、双方が清和会現職栗本慎一郎に敗北し落選(次点は松原、双方が重複立候補していなかった)。
- 3月 衆議院議員補欠選挙(東京4区・無所属)落選。35,521票。
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(東京3区・民主党公認)当選。84,372票。
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(東京3区・民主党公認)2期目当選。122,181票。
- 静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(東京3区・民主党公認)3期目当選(比例東京ブロック)。123,999票。松原の得票数は前回を上回るも、前回破った自民党候補石原宏高に惜敗。
- 新潟県中越沖地震党対策本部事務局次長に就任。
- 12月7日の衆議院外務委員会で元日本兵の証言とするものを紹介し、改めて南京大虐殺を否定した。あわせて慰安婦問題に関しても、日本政府の責任はないと強く主張した。[2]慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会に参加している。
[編集] 主な政治的主張
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)事務局長代理の代理を務めるなど、拉致問題解決に力を尽くしている。
- 中国の歴史教育における学習指導要領(2001年度版)を入手し、中国で行われている「反日教育」の実態を強調した。
- 積極的にメディアに出演するなど知名度も高い。
- 南京大虐殺や従軍慰安婦の「旧日本軍による「組織的・計画的な強制連行」を否定している。2007年5月25日の衆議院外務委員会では四十五分の質問時間の大半を南京大虐殺や従軍慰安婦問題の完全否定の主張に費やした。[3]
- 米下院121号決議の全面撤回を求める歴史事実委員会主導の全面広告に賛同者として名を連ねた。
- 映画「南京の真実」の賛同者のひとり。
[編集] エピソード
- 松原仁のジンじん仁(ラジオ日本系)というラジオ番組を持っている。
- 親交があり、自身の応援団長でもある音楽家・すぎやまこういちから応援歌♪「JIN・ジン・じん・仁・松原仁」をプレゼントされた
- ビートたけしのTVタックルでの「政界時代劇」では平沢勝栄、河村たかしらとともにたびたび出演している。特に兄貴分である河村とは同シーンで度々共演し、キスされるNGがあったり、国定忠治(河村)の子分役を演じるなど、その真顔の演技は笑いを誘っている。
[編集] 語録
[編集] 主な所属議員連盟
[編集] 参照
[編集] テレビ出演
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系)
- 政党は主張する!(日本文化チャンネル桜)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 松原仁オフィシャルサイト(公式サイト)
- 民主党 東京都総支部連合会
- 民社協会