東京 (各国)
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東京(とうけい、とうきょう、トンキン)は、「東の京」を指す言葉。
西の京である「西京」(もしくは「京」)に対比される。
現代日本では日本の東京を意味するが、ここでは各国・各時代の東京について述べる。
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[編集] 日本
日本では、京都に対し、かつての江戸を、東の「京の都」(きょうのみやこ)、東京と呼ぶ。1868年の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」により、江戸府が「東亰府」と改称された。読み方は今の「とうきょう」ではなく「とうけい」だった。「京」の異字体の「亰」を使ったのは、中国の東京との混同を防ぐためといわれる。1871年には廃藩置県によって、全国三府七十二県制に統一。その後、東京府・市を経て、現在は東京都と呼ばれる。
1889年(明治22年)5月1日には、東京府の内の15区を東京府から分立して東京市(現在の23区とほぼ同地域)とした(1898年(明治31年)10月1日に廃止されたものの、それまでは東京府知事の東京市長は兼務されていた。
1938年(昭和13年)6月、内務省が「東京都制案要綱」発表し、1943年(昭和18年)1月には、日本政府が「東京都制案」を提出し帝国議会にて可決された。同年7月1日、東京都制によって東京府・東京市が廃止され、現在の「東京都」が設置された。
東京に対する西の京は京都であるが、京都のことを西京と呼ぶことは稀である(東京奠都直後に短期間だけ呼ばれた)。室町時代に栄華を極めた山口のことを「西の京都」という意味で西京(さいきょう、にしのきょう)と呼んだが、東京に対比させた呼び名ではなかった。現在も西京銀行や山口県立西京高等学校などの名残がある。因みに、京都府立大学の旧称は西京大学だった。
近年では、京都市右京区から分区して西京区が1976年(昭和51年)10月1日に誕生。 東京では、東京都田無市と保谷市の合併により西東京市が2001年(平成13年)1月21日誕生した。石原慎太郎都知事が「正確には、北東京市じゃないのかな」と述べたエピソードは有名。
[編集] 中国
中国の地名としては、「とうけい」と読むことが多い。現代の標準語である普通話での発音は「トンチン (Dōngjīng)」である。
中原においては、洛陽または開封を指す。双方とも、東京に対する西京は長安である。なお、現在の北京・南京に対応する東京は開封である。
ただし、北方の征服王朝では遼陽を指し、これに対する西京・北京・南京も異なる。
[編集] 洛陽
東京という言葉の起源は後漢である。後漢は、前漢の都である長安から東の洛陽に遷都したため、洛陽は東京と呼ばれた。なお、この遷都のために、主に中国で、後漢のことを東漢と呼ぶ。
[編集] 遼陽
遼陽は、副都を置くにあたって襄平から改名されたものである。
後金は、太子河を挟んで遼陽の対岸に、副都として東京(東京城)を置いた。
[編集] 開封
北宋は、東西南北に、次の4つの都を置く四京制を敷いた。
- 東京開封府
- 西京河南府(洛陽)
- 南京応天府
- 北京大名府
現在でも雅称として開封を東京と呼ぶことがある。
[編集] その他
[編集] ベトナム
詳細はトンキンを参照
ベトナムでは、「東京」は「トンキン (Đông Kinh)」と読み、北部の首都ハノイを中心とする地域名である。
1802年に阮朝がフエに遷都するまでは、ハノイのことをトンキンと呼んだ。
[編集] 渤海
渤海では、次の五京が置かれた。
上京龍泉府は遺跡であり、現在は東京城と呼ばれる(東京龍原府のことではない)。
[編集] 高麗
高麗は、正都開京(開城)に、東京(慶州)、西京(平壌)を加え三京とした。15代粛宗の時代に、南京(漢城、現在のソウル)を加え四京とした。