札幌市時計台
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札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある建築物(重要文化財)である。正式名称は「旧札幌農学校演武場(きゅうさっぽろのうがっこうえんぶじょう)」。通称「札幌時計台」または単に「時計台」と呼ばれる。
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[編集] 概要
三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物である。木造2階建(時計部分の塔屋を除く)で、現在は1階が展示室、2階が貸ホールとなっている。かつては札幌市の図書館として使われていたこともある。敷地、及び、建物は札幌市が管理運営しており、北海道庁赤レンガ庁舎と並び、札幌市中心部の有名観光スポットであり、札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用される札幌市の象徴的建物である。
[編集] 略史
- 1878年10月16日 - 演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建設(場所は札幌農学校敷地内:現在の位置より若干北に位置した)
- 1881年 - 鐘楼に時計が設置された
- 1903年 - 札幌農学校が移転(移転先は現在の北海道大学所在地)
- 1906年 - 札幌区により買取され、現在の場所に移設
- 1911年 - 図書館として開放される(~1966年)
- 1926年 - 札幌市の所有になる
- 1970年 - 国の重要文化財に指定
- 1995年 - 修復工事
[編集] 概要
[編集] 時計
建設当初時計は設置されておらず、鐘楼に工部省東京工場製の鐘が吊るされており、綱を引いて鐘を鳴らす仕組であった。しかしこの方法は時報の不正確さを免れず、また振動により実験に支障をきたすことが判明したため、明治14年6月に塔部分を新築し、現在の大時計が設置された。
時計のムーブメントはアメリカ合衆国のハワード社製の19世紀製の時打重錘振子式四面時計(製造番号738)と呼ばれるもので、2008年現在も使われている。 市に移管されてからは手入れするものがなく、しばらく時計としては動作していなかった。
1933年、札幌市内の井上時計店主・井上清が、市の中心部の目立つ場所に動いていない時計があるのは、はずかしいという理由で、無料で整備・調整をかって出た。これ以降、調整はボランティアによって行われている。150kgあるといわれる錘の持ち上げもボランティアが人力で行っている。
1995年から1998年にかけて阪神大震災を踏まえた耐震補強を含めて、大規模な修繕工事が実施された。
時計は4面あり、時計の表示盤は直径1.6mある。また、毎時、時間に応じた数の鐘の音が鳴る。
[編集] 観光名所としての時計台
現在の札幌市時計台は高層ビル群に囲まれているが、北海道の雄大な自然に囲まれ、草原の只中に建っているというような誤ったイメージを持ち訪れる観光客が多い。これは羊ヶ丘展望台や北海道大学との混同している場合や、正面からではなく、下から上にあおる構図で写真を撮影した場合には周囲のビル群は写らず、またこの構図が構内の撮影台などでも薦められているため、その写真のみを見て誤解されたものと考えられる。そのため実物を見た観光客からは、日本三大がっかり名所のひとつとされる事がある。しかし当初より札幌の中心地に建ち(現在よりも約150m北側に有った)、西洋教育や北海道開拓・近代化のシンボルとされた事を考えれば、ビルに囲まれた現在の情景が自然な姿といえる。
また、時計台の向かいのビルの2階が時計台テラスとなっており、その場所からは時計台を前面から撮影できる。
現在では時計台の周辺部でしか鐘の音は聞こえないが、市内の小学校などでは、時刻によって録音された鐘の音を鳴らしている。 また、STVラジオでは、平日の午前6時から8時と、夕方4時の時報はこれに代わって札幌時計台の鐘の音を流す。
ちなみに、非公式キャラクターとして時計大臣というのがあり、これはさっぽろテレビ塔の非公式キャラクター「テレビ父さん」の仲間に当たる。