有馬隼人
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有馬 隼人(ありま はやと、1977年10月29日 - )は、アメリカンフットボール選手、身長177cm 体重77kg。
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[編集] 人物・略歴
[編集] 大学以前
広島県福山市出身。10歳から大阪府豊中市で育つ。 大阪府立箕面高等学校時代にアメリカンフットボールを始め、QBとして活躍。3年生時の春季、西宮ボウル(大阪府選抜-兵庫県選抜)等で注目を集める。秋の高校アメリカンフットボール選手権大会では、奇跡的な逆転勝利などを数々演出し「箕面現象」とも言われた快進撃で準決勝へ進む。スポーツ推薦制度のない公立高校の準決勝進出は快挙であり、関西フットボール界の大きな話題となったが、関西学院高等部に敗れ、公立校初のクリスマスボウル出場はならなかった。
[編集] 大学時代
関西学院大学に進み、アメリカンフットボール部に入部。ファイターズでは、1996年の秋季リーグ戦で1年生ながらスターターQBとして起用され話題となる。2、3年時は不振でスターターを外れるが、西宮ボウルでは関西学生オールスターに選出され、近畿大の高橋幸史(現松下電工)の控えながら軽妙にパスを決めて存在感を示す。最終学年となった1999年、春季ゲームで安定したクォーターバッキングを見せ、スターターQBの座を奪回。秋季リーグ戦も、第6節の立命館大戦こそゲーム序盤で相手タックルを受け戦列を離れたが、リーグ戦を通じて終始安定した試合運びで全勝優勝に導き、関西学生リーグの最優秀選手に選ばれる。正確なパスコントロールで、パス成績は他を大きく引き離しての1位だった。大きな放物線軌道を描くロングパスは毎日放送のリーグ戦ダイジェスト番組「FLASHBOWL SERIES ハイライト」の司会者ヒロ寺平に「パラボリック・パス」と命名された。その後、第54回毎日甲子園ボウルで法政大に52-13で快勝し、1993年以来チーム4度目のライスボウル出場を決める。自身も年間最優秀選手であるミルズ杯を獲得した(甲子園ボウル出場は1997年、1999年の2回)。しかし、日本一に挑んだ第53回ライスボウルでは社会人チーム代表アサヒビールシルバースターに17-33で敗れ、日本一の夢を果たせぬまま選手生活を一旦終える。
[編集] 社会人以後
関西学院大学商学部卒業後、2001年TBSにアナウンサーとして入社(同期入社のアナウンサーは、竹内香苗・藤森祥平)。「ブロードキャスター」・「スーパーサッカー”PLUS”」・「J-SPORTS」でスポーツキャスターを担当したほか「はなまるマーケット」でも注目を集めたが、アメリカンフットボールへの情熱を捨て切れられず、2004年3月31日に在職期間3年で同社を退社。
TBS在職中も社会人チーム(三井物産シーガルズ)に籍は置いていたが、退社後は選手として本格的に復帰。奇しくもライスボウルで対戦したアサヒビールシルバースターに入団し、東野稔、波木健太郎らとエースQBを争う。現在は人材派遣会社で働きながら、悲願の日本一を目指している。また、アリーナフットボールの日本選抜チーム「サムライウォリアーズ」でもプレーした。2008年シーズンからアサヒ飲料チャレンジャーズに移籍した。
元アナウンサーという経歴を生かし、NFL(GAORA(2004年 - )、日テレG+(2007年 - ))やアリーナフットボール(EXスポーツ(2005年 - 2006年))中継の実況を担当。関西学生アメリカンフットボールハイライト(GAORA)のMC(2007年 - )、甲子園ボウル(毎日放送)のピッチ解説(2004年 - )、ライスボウル(NHK教育)の副音声解説(2008年)も務める。アニメ「アイシールド21」では、45~46話で本人役で声の出演、52話からは番組中の「有馬隼人のアメフトクリニック」コーナーに出演していた(2008年3月に番組と共に終了)。現在はテレビ神奈川のLOVEかわさきに出演している。
また中堅コンビニエンスストアチェーン「am/pm」が食育や環境に配慮した活動を行う為に始めたキャンペーンである「カラダにキブンにイイコトクラブ」では「自己管理の達人」として、タレントの安田美沙子などと共に2007年のオピニオンキャラクターを務めた。
[編集] 著書
- 有馬隼人の楽しい!はじめてのアメフト(ベースボールマガジン社)2005年8月刊 ISBN 4583038607