暁伸・ミスハワイ
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暁伸・ミスハワイ(あかつきしん・みすはわい)は、『浪漫リズム』で知られた夫婦の浪曲漫才コンビ。
[編集] メンバー
- 暁 伸(あかつきしん 1915年(大正4年) - 、本名:森光雄(もりみつお)
- 福岡県出身。兵役検査に落ち、地元から朝鮮に渡って大工をしていたが、浪曲への思い断ち難く、浅草に出て1939年京山恭爲に入門し京山若秀を名乗る。桃忠軒桃千代一座で旅を回るうち、これからは浪曲も三味線一棹の時代ではないと悟り、洋楽を学び歌謡浪曲に進む。
- 福岡県出身。神戸の岡田芸能社の所属歌手だった。
[編集] 概説
軽音楽団で旅回り中に意気投合した2人は、1944年頃コンビを組む。当初は『暁のぼる・春乃ひばり』の名で、ギターにクラリネット伴奏でジンタ風のリズムを刻んでいた。1946年新興キネマ演芸部所属になり、秋田實門下の浪曲漫才コンビ『暁あきら・南あきこ』で再出発したが、なかなか芽が出なかったため、1950年に易者の見立てで『暁伸』に改名。
1951年、砂川捨丸・中村春代一座のアメリカ巡業に立ち寄ったハワイで見た、フラやハワイアンミュージックからヒントを得て、帰国後独特の浪漫リズム(ロマンリズム、名古屋の席亭が命名)を創案、コンビ名も『暁伸・ミスハワイ』に改めた。因みに、タイヘイトリオが名乗ったのは『浪漫ショウ』である。
凱旋巡業では英単語混じりの浪曲漫才で売れ出すが、伸が喉を傷め大声を出せなくなったため、苦肉の策として、合いの手役のハワイが前にしゃしゃり出るスタイルに転向。ど派手なムームーに金髪パーマのカツラで、ヘチマ型のギロをこすり上げ、「行け!」、「いい声で歌わんかい!」と、伸をけしかけながら舞台狭しと立ち回り、甲高い声で「アーイーヤー」(ハワイ語で「さあ、行くぞ」の意味)を連発したところ、これが大受けを取るようになった。
恰幅の良いハワイが腰を振りつつ右往左往すれば、伸がその容姿を「♪立てばポスト(旧式)で、座ればだるま…」と扱き下ろしながら、やおら「奥さん、明日も雨でンな」等と客いじりに移る、ペーソス溢れる芸風で一世を風靡した。オチは伸が「寝ぐらへ帰るダンプカー…」で締めた。
また「♪腰にぶらぶら ヘチマ提げ~」で始まり、「化粧落としたその顔は ふた目と見られぬ 色気婆~」で終わる別バージョンもあった。
『これは素敵な チョイといかす。一節聴いたら ドンピシャリ~♪』で始まるテーマソングは、伸・ハワイが10年以上司会を務めた『お笑いびっくりタイム』(毎日放送)のスポンサー、阪本赤まむし本舗のCMソング(伸の作詞作曲)で、歌詞を一部変更し自らも用いるようになったもの。また伸・ハワイの楽屋には、同社のマムシグロン(ドリンク剤)が必ず届けられていた。
芸には非常に厳しく、仲間ともつるまず、酒にも博奕にも手を出さず、芸人らしい格好に気を配り、客受けにも敏感だった。浪花座(現・B1角座)で出演時間を計る役を仰せ付かっていたのに、サボって漫画を読み耽りストップウォッチを押し忘れた濱口優(よゐこ)は、高座を降りたハワイから「死ね!」と面罵されたという。
1998年にハワイが世を去った後も、伸は現役最高齢級の芸人としてピンで活躍中。