日産・R390
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R390は、日産自動車が1990年代後半にル・マン24時間レース制覇のために、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)の協力のもと開発されたレーシングカーである。 マシン名称はかつて1960年代の日本グランプリで活躍した日産・R380~382の系譜を継ぐものということで付けられた。
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[編集] 成り立ち
建前上はグランドツーリングカーということになっているが、単にナンバーを取って公道を走ることができるというだけで、実質的な中身はプロトタイプレーシングカーである。(ちなみにこの手法が取り入れられたのは、1994年のル・マンに参戦したダウアーポルシェ(ポルシェ962Cをロードゴーイングカーとして改造したもの)が先駆けである)
当初は、TWRがポルシェと組み1996年にルマンを制したLMP1クラスのオープンプロトタイプであるポルシェ・WSC95をベースに開発する計画であったが、日産社内より「自動車メーカーとして出る以上は、オープンではなく市販車のイメージを持つクローズドで出るべき」という意見が出された。 そのためWSC95ではなく、TWRに保管されていたジャガー・XJR-15がベースカーとなり、出走するクラスはLMP1からGT1へと変更されることとなった。
エンジンは、90年代のグループCで活躍した名機3.5リッター・V8ツインターボのVRH35Zをベースに開発されたVRH35Lが搭載された。この2機は型式こそ違ってはいるが、新型が開発されたわけではなく、VRH35Zにリストリクターを装着しブースト圧を下げただけで、エンジンそのものはVRH35Zそのままである。VRH35ZはかつてグループC最強とまで言われたエンジンではあったが、下げられたブーストなどへの最適化が行われておらず、戦闘力はかなり低くなってしまっていた。RB26DETTも搭載が検討されたと言われているが、当時ニスモの総監督だった柿元邦彦が「現場では全くそういった話は出ていない」と述べていることから、ただの噂にしか過ぎないと思われる。
[編集] ロードカー
当初はLMP1クラスでの参戦が計画されていたため、レース車両の作成しか考えられていなかった。しかしGT1規定へと変更がなされたため、当時の規定により、レースカーの原型とされるロードカー(市販車)も開発された。1997年に1台のみが製作・発表され、翌年には1997年に製作された1台を改装して1998年仕様車として発表したが、R390のロードカーが実際に販売されることはなかった。このロードカーは、現在は日産座間記念車庫にレースカーと共に保管されている。
[編集] レースでの成績
ル・マン24時間には1997年に初参戦する。予備予選ではポールポジションを獲得するという順調なスタートだった。しかしレギュレーション解釈の違いによって、ギアボックストラブルが発生し思うような結果が残せなかった。97年型R390はリヤトランクをメッシュとし、ギアボックスの冷却ダクトの内部に収容していたが、現地でこれがレギュレーション違反と指摘されてしまったのである。そこで、急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したため、ギアボックスへの冷却風の流れが阻害されてしまったことが原因であった。
翌1998年には97年のマシンの弱点であったギアボックスの改善、ロングテール化などの空力改善、ウィリアムズF1チームからTCSやABSなどを導入し戦闘力を向上して参戦。ポルシェやトヨタに比べると一発の速さは無かったものの、堅実なマシン作りで抜群の安定性をみせ、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦の乗るマシンで総合3位を獲得し、出走した4台全車がノートラブルで完走して10位以内に入る健闘をみせた。
翌1999年にはR390での参戦をやめ、R391で参戦するも電気系統のトラブルによるリタイヤに終わる。