拳法
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拳法(けんぽう、やわら)とは、現代では、打つ、突く、捻る、蹴るなどの当身技による徒手武術を意味する。現代世界に普及している「拳法」と称するものは、諸説はあるものの一般にはアジア起源のものが多くを占めると思われる。ただし、日本の柔術で拳法を称する流派もあるが、これは柔術の中国風の異称であり、拳法と書いて「ヤワラ」と読む場合も多い。またそれらの流派が特に当身技が多いわけではない。(名称と当身技の多い少ないは関係ない場合が多い)
[編集] 概要
史実ではないが、伝説によると、菩提達磨がインドから伝え、嵩山少林寺で指導した心身の修行法が少林拳の起源とされる。
現代中国で行われている拳法(拳術)は地域的には大雑把に、中国南部に伝わる南派拳(例 詠春拳・洪家拳 等)と、北方に伝わる北派拳(例 太極拳・八極拳 等)の2つに分けられる。また、北派拳を外家拳と内家拳に分類する場合もある。外家拳は少林拳を代表とする、剛直に激しく戦う拳法、内家拳は太極拳を代表とする、威力を内面に秘めて呼吸と調和させる、一見緩慢としか見えない拳法とする説もあるが、この分類は近年に出来たもので、実際にはどの拳法も両面を兼ね備えていると言える。
日本へは、17世紀後半に明から渡来した陳元贇が伝え、その弟子たちが柔術の一種として日本の風土に合うものにつくり変えた、という伝承が有名である。実際は、柔術は陳元贇以前から素手の武術は多く存在する。陳元贇から学んだ、と称する流派も特に中国拳法的な技法が存在する訳ではなく、中国から学んだとするのは一種の箔付けである。また、陳元贇自身が実際に武術を行ったという記録は存在しない。
そのほか空手(唐手)の成立に、中国拳法は大きな影響を与えている。
[編集] 日本での拳法
現在、日本における拳法の代表的なものには少林寺拳法と日本拳法があり、前者は仏教系新興宗教を背景として幅広い層に普及し、後者は大学拳法部を中心にいくつかの団体に分かれて広がってきたが、スポーツ化した一面も持つと言われており、いずれもテレビで技を見せるなどの活動もある。共に日本の武術を元に作り上げられた武道・格闘技であり、日本古来の武術の特徴をよく表現しているともされる。
少林寺拳法は宗(中野)道臣(みちおみ・後のどうしん)が香川を拠点に、日本拳法は澤山宗海(さわやまむねおみ・本名 澤山勝)が大阪を中心に活動を始め発展した全く別の拳法である。
- 少林寺拳法
- 少林寺拳法は宗が戦前から戦中にかけて中国で特務機関の活動をしている際に学んだ各種の中国拳法に幼少のころ学んだ日本の柔術を加味し創始した日本の武道である。護身術を中心とした技術体系を持ち、「自己確立」と「自他共楽」、「強さを競わない」などの理念が幅広い層に受け入れられ、現在、海外31カ所に普及し会員150万人とその発展は他の武道の追随を許さないほどである。嵩山少林寺の少林拳と混同されがちだが、まったく別の技法体系をもつ。
- 日本拳法
- 日本拳法は、柔道家であった澤山が、当身技が柔道形にあるにもかかわらず練習されていないことから練習体系を確立するために、空手道などを参考にして大日本拳法として創始し、戦後に日本拳法と改称した。独自の防具を用い実際に加撃することが特徴であり、空手道などと互いに影響を及ぼしながら技術体系が錬られていった。ボクシングの渡辺二郎やキックボクシングの猪狩元秀(現、NPO 法人日本拳法協会主席師範)などの世界チャンピオンを輩出し、自衛隊の自衛隊徒手格闘の原形に、また警察の逮捕術にもその技術がとりいれられたことでも知られている。特筆すべきは自由組手の形式をいちはやく確立していたことである(現在の日本拳法では「組手」という用語は用いていない)。
以上のような状況の一方に、日本の柔術にも当身技が多い流派はいくつかある。代表的なものに、柳生心眼流、真極流の一派、諸賞流、天神明進流などがあり、近代に創始されたものでは神道天心流などがある。