戦災孤児
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戦災孤児(せんさいこじ)とは、戦争の結果、保護者を失った子供を指す。日本においては、第二次世界大戦による本土での空襲の結果、生じた子供を指す。
1945年に入り、日本本土への都市無差別爆撃が行われるようになり、両親・親戚等の保護者を失う子供が急増した。同年8月15日の戦争終結後は、海外からの引き揚げた孤児らも含み社会問題化した。
当時の責任省庁である厚生省は1945年9月20日に戦災孤児等保護対策要綱を発表し、戦災孤児らの保護として、(1)個人家庭への保護委託、(2)養子縁組の斡旋、(3)集団保護の対策をとることとしたが、実効性に乏しく、戦災孤児らは未成年の兄弟だけで、あるいは同じ境遇の者と徒党を組んで生活せざるを得なかった。靴磨きなど簡易な労働を行う者が多かったが、窃盗団を結成する場合も少なくなかった。このことが後の戦災孤児の保護について治安対策の要素を帯びる要因となっている。
1945年12月15日に閣議決定された生活困窮者緊急生活援護要綱においては生活困窮者に戦災孤児も含まれることとなり、続いて1946年4月15日に浮浪児その他の児童保護等の応急措置実施に関する件、9月19日に主要地方浮浪児等保護要綱が発表されたが、これらの時点では浮浪児の用語が表すようにともかく保護施設への収容を目的とした政策であった。
これに対し、主にアメリカ人の宣教師が、児童養護施設を開設し、保護の手を差し伸べた。今もなお、民間の児童養護施設にキリスト教系が多いのは、この流れを汲んでいるものと思われる。
こうした状況について、1946年10月にはGHQから戦災孤児、混血児問題等について福祉的政策をとるようにとの指示が日本政府に下され、1947年には厚生省内に児童局が設置され、福祉の観点からの対策に取り組むこととなった。第二次世界大戦による保護者不在の問題は、1960年代まで続いていた可能性がある。