成蹊大学
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成蹊大学
大学設置 | 1949年 |
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創立 | 1906年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人成蹊学園 |
本部所在地 | 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1 |
キャンパス | 本部のみ |
学部 | 経済学部 法学部 文学部 理工学部 |
研究科 | 経済経営研究科 法学政治学研究科 文学研究科 工学研究科 法務研究科(法科大学院) |
ウェブサイト | 成蹊大学公式サイト |
成蹊大学(せいけいだいがく、英称:Seikei University)は、東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は特にない。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 大学全体
明治~大正期の教育者である中村春二が三菱財閥総帥の岩崎小弥太、今村銀行頭取の今村繁三らの協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっており、第二次世界大戦前には三菱財閥と非常に縁の深い学園であった。現在でも理事長以下、理事に三菱グループ各社の役員が名を連ねており、三菱グループが大学の経営に深く関わっている。
「成蹊」の名は司馬遷が史記(李将軍列伝)で引用した諺「桃李不言下自成蹊」に由来する。
[編集] 沿革
[編集] 年表
- 1906年 中村春二が学生塾を東京池袋に創設。現在の豊島区立元池袋史跡公園にその碑がある。
- 1907年 成蹊園と改称。
- 1912年 成蹊実務学校開設
- 1917年 成蹊実業専門学校・成蹊女学校開設
- 1924年 吉祥寺へ移転
- 1925年 旧制成蹊高等学校開設、旧制高等学校では数少ない七年制を採用する
- 1949年 学制改革に伴い、旧制成蹊高等学校を改組して新制成蹊大学を設置。政治経済学部を開設。
- 1962年 工学部を開設。
- 1965年 文学部を開設。
- 1966年 大学院工学研究科を開設。
- 1968年 政治経済学部を改組し、経済学部および法学部を開設。
- 1970年 大学院経済学研究科、法学研究科を開設。
- 1971年 大学院文学研究科を開設。
- 1972年 大学院経営学研究科を開設 大学院法学研究科を法学政治学研究科と改める。
- 1981年 情報処理センター、アジア太平洋研究センターを開設。
- 1993年 国際交流センターを開設 。
- 1999年 学園情報センター設置。
- 2000年 文化学科を改組し、国際文化学科・現代社会学科開設。
- 2001年 経営工学科を経営・情報工学科に改称。
- 2002年 大学情報処理センター統合。
- 2004年 大学院法務研究科(法科大学院)、経済学部経済経営学科開設。国際交流センターを国際教育センターへ改組。
- 2005年 工学部を改組して、理工学部を開設。
- 2006年 「情報図書館(インテリジェント・ライブラリー)」という新機軸の位置づけによる大学図書館として秋に新館が開館。
- 2007年 大学院経済学研究科と経営学研究科を統合し、経済経営研究科を開設。
[編集] 象徴
- 校歌は旧制成蹊高等学校時代の大正14年に作られた「成蹊の歌」(作詞:志田義秀・作曲:信時潔)で、現在まで歌い継がれている。
- スクールカラーは1939年に作られた校旗の地色から紺青色としている。
- 校章は漢字の「成蹊」に桃の実と葉をデザインしたもの。中村春二が帽子の徽章として考案したものが元となっている。2001年頃に制定された学園全体のロゴマークは「ピンクと緑色」(桃を表現)の背景に、ローマ字の「SEIKEI」を組み合わせたもの。
- 校章やロゴマークとは別に「ピーチ君」という隠れマスコットがいる。桃に顔と手足がついたキャラクターで、学生部作成のスケジュール帳や資料にしばしば登場した。ただし、2006年度のスケジュール帳では姿を消した。類型に「ピーチマン(マントで空を飛ぶ)」「ピーチちゃん(リボン付き)」「ピーチどん(ひげを生やしている)」などがいる。
- 正門から入り正面に見える本館は吉祥寺に移転した時に建てられたもので、成蹊大学を象徴する建物となっている。かつては現在の情報図書館(坂茂設計)の位置に、本館と同時に建てられた1号館があったが、老朽化のため2004年に取り壊された。
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
[編集] 大学院
[編集] 学生生活
[編集] 部活動・クラブ活動・サークル活動
課外活動を行う団体は、体育会加盟団体、文化会加盟団体、サークルに分かれている。
[編集] 学園祭
学園祭は、「欅祭」(けやきさい)という名称で11月に開催される。高島彩、宮瀬茉祐子など多くのアナウンサーを生み出している「ミス成蹊コンテスト」や、毎年有名人が出演するトークショーが代表的な出し物である。2007年度のトークショーには、お笑いコンビのますだおかだが招待された。 春には「桜祭」というOB・OGらに対してのイベントがある。在校生(一部の体育会部活)及び卒業生が出店を出し、さまざまなイベントが行われる。このほか、学内陸上競技大会(5月)という体育会、一般の部に分かれて運動会のようなベントを行うほか、成蹊レガッタ(6月)という埼玉県の戸田ボート場を貸切にし、各部、サークル、ゼミなどでレースを競うイベントもある。いずれも体育会本部(体育会の代表団体)の主催で、規模の大きくない大学ならではの行事といえる。
[編集] スポーツ
- 毎年、学内の陸上協議会とは別に、東京四大学対抗による四大学運動競技大会(通称、四大戦)が行われている。主催は各大学の体育会学生団体(成蹊の場合は体育会本部)で、会場校の団体の中に「四大戦実行委員会」が設置される。10月の3日間、一般(野球、バスケ、テニス、バレーボールなど)、体育会(部によっては日程は別・後述)、教職員の3部門で競われ、さらに3つをあわせ総合優勝が競われる。大学の規模の関係か、ほとんど学習院大学の優勝で終わっているが、2003年は成蹊大学が24年ぶりに総合優勝をした(その間の総合優勝はすべて学習院)。だが、各一般サークルは四大戦を最大目標とする団体が多く盛り上がりをみせる一方で、それぞれの公式戦に力点を置く体育会の中では四大戦に力を入れず、公式戦に支障が出ないように日程を調整し、練習試合として消化している部も多い。総合優勝を数多く果たしている学習院でも、一般学生、体育会ともにもりあがりはなく、四大戦の存在意義や総合優勝の価値についてはいくつかの部活から疑義が呈されている。また、後夜祭も行われているが、参加者のほとんどが四大戦実行委のメンバーで、内輪での行事の色合いが強い。
- 硬式野球部は東都大学野球連盟に所属している。
- 「成蹊大学ラクロス部」は「学生ラクロス連盟 東日本支部」に所属している。ラグビー部が2007年シーズンから関東大学対抗戦Aグループに昇格。スポーツ推薦のない大学としては快挙といえる。
- 「成蹊大学陸上競技部」のOBにはアミノAC所属の早川恵理がいる。長距離は、箱根駅伝予選記録会の標準タイムを突破しており、過去幾度も箱根駅伝予選会に出場している。第28回箱根駅伝大会には、同部が出場している。
[編集] 大学関係者
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 対外関係
[編集] 他大学との協定
亜細亜大学、東京女子大学、日本獣医生命科学大学、武蔵野大学と単位互換協定を結んでおり、各大学で提供されている科目を卒業単位として履修できる。
[編集] 関係校
- 旧制七年制高等学校
- 旧制七年制高等学校の流れを汲む下記大学および旧制七年制高等学校相当の教育機関であった旧制学習院高等科を母体に設置された学習院大学とは現在でも関係が深く、特に在京の3大学に関しては東京四大学というグループを形成している。
[編集] 系列校
学校法人成蹊学園の設置する諸教育機関は大学附属ではなく、系列教育機関という位置付けであるため、この欄にまとめた。
[編集] 附属学校
学校法人成蹊学園の設置する諸教育機関は大学附属ではなく、系列教育機関という位置付けであるため、系列校の欄にまとめた。
[編集] 公式サイト
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