慶應義塾大学体育会ソッカー部
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慶應義塾大学体育会ソッカー部 | |
原語表記 | 慶應義塾大学体育会ソッカー部 |
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愛称 | |
クラブカラー | 黄色 |
創設年 | 1927年 |
所属リーグ | 関東大学サッカーリーグ |
所属ディビジョン | 2部 |
ホームタウン | |
ホームスタジアム | |
収容人数 | |
代表者 | 田中俊郎(部長) |
監督 | イー・ウーヨン(元サッカー韓国代表) |
慶應義塾大学体育会ソッカー部(けいおうぎじゅくだいがく たいいくかい ソッカーぶ、Keio University Soccer Club)は、慶應義塾大学のサッカー部である。
ソッカーはSoccerのイギリス英語読みである。
慶應義塾大学ソッカー部としての天皇杯優勝は1937年の1度だけだが、現役学生とOBらの混成チームも含めると、慶應BRB(ブルー・レッド・ブルー)での6度の優勝を筆頭に合計9回の天皇杯最多優勝を誇る。
現在は、関東大学サッカーリーグ2部リーグに所属している。
目次 |
[編集] 歴史
1925年からの「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」に東京帝大、早稲田、高等師範、法政大、東京農大とともに参加。以降、1960年代まで東京帝大、早稲田、慶應義塾の3校が日本ソッカーの中心となった。
1960年に古河電気工業サッカー部が天皇杯で優勝した事で、日本のサッカーの中心が大学から、実業団に移ると日本サッカー界に早稲田と並ぶ学閥として反映される事になった。
2008年、全国高校サッカー選手権大会に準優勝した藤枝東のメンバーでチームの柱だった河井陽介が入学。また、慶應義塾大学に在籍しながら2007年まで湘南ベルマーレに所属していた中町公祐が入部。今後は古豪復活に期待がかかる。
[編集] タイトル
- 天皇杯:1回
- 1937
- 全日本大学選手権:3回
- 1961、1963、1969
- 関東大学サッカーリーグ戦:7回
- 1932、1934、1937、1938、1939、1940、1952
[編集] 関連チーム
- 天皇杯:1回(慶應クラブ)
- 1932
- 天皇杯:6回(慶應BRB)
- 1936、1939、1940、1951、1954、1956
- 天皇杯:1回(全慶應)
- 1952
[編集] 歴代所属選手
- 松丸貞一
- 右近徳太郎(ベルリン五輪サッカー日本代表、故人)
- 二宮洋一
- 小畑実(元東洋工業サッカー部監督)
- 重松良典(元日本サッカー協会総務主事)
- 森健兒(日本サッカー協会特別顧問)
- 片山洋(メキシコ五輪銅メダリスト)
- 犬飼基昭(Jリーグ専務理事、元三菱自動車フットボールクラブ(浦和レッドダイヤモンズ)社長)
- 大仁邦彌(日本サッカー協会副会長)
- 藤口光紀(三菱自動車フットボールクラブ(浦和レッドダイヤモンズ)社長)
- 反町康治(北京五輪サッカー日本代表監督兼サッカー日本代表コーチ)
- 須田芳正(元浦和レッドダイヤモンズ)
- 堀池洋充(元FC東京)
- 野々村芳和(元コンサドーレ札幌ほか)
- 吉田宗弘(セレッソ大阪)
- 吉野真治(テレビ朝日アナウンサー)
- 田辺研一郎(日本テレビアナウンサー)
- 中町公祐(元湘南ベルマーレ)