彌次喜多 名君初上り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
彌次喜多 名君初上り | |
監督 | マキノ正博 |
---|---|
製作 | 日活京都撮影所 |
脚本 | 山上伊太郎 |
出演者 | 片岡千恵蔵 沢村国太郎 志村喬 塩まさる ディック・ミネ 美ち奴 服部富子 市川春代 |
音楽 | 大久保徳二郎 |
撮影 | 石本秀雄 |
編集 | 宮本信夫 |
配給 | 日活 |
公開 | 1940年1月13日 |
上映時間 | -分 (9巻) |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 鴛鴦歌合戦 第113作 |
次作 | 続清水港 第115作 |
『彌次喜多 名君初上り』(やじきた めいくんはつのぼり)は、日本の、日本のオペレッタ時代劇映画である。1940年(昭和13年)の日活京都撮影所製作、日活配給作品、日活とテイチクの一連の提携作品のうちの一作である。監督は当時31歳のマキノ正博、のちの巨匠・マキノ雅弘の戦前のトーキー作品である。
目次 |
[編集] 概要
1939年(昭和14年)末に急遽製作された『鴛鴦歌合戦』は、片岡千恵蔵の急病による休養のため、本作を撮影する予定で編成したスタッフ・キャストを流用した急造作品で、主演の片岡の出番は巧みに少ないが、本作は片岡の回復を待って、改めて製作されたものである[1]。ただ、本作は、前作のように、脚本作成から完成まで「10日間」、主演の片岡の撮影時間が「2時間」、といった尋常ではない「撮って出し」のスケジュールではなかったが、同年12月29日の仕事納めまでに完成をしなければならなかった[1]。
本作の「原作・脚本」としてクレジットされているのは山上伊太郎であるが、山上は原案のみで脚色したのは別人であり、それを知ってがっかりしたとマキノは後述している[1]。
現在では、当時わずかな日程ででっちあげられた『鴛鴦歌合戦』の方が名が知れ渡り、東京国立近代美術館フィルムセンターにも所蔵され、DVDも国際的に販売されているが、本作は同センターに所蔵されておらず[2]、現時点での知名度も低い。
[編集] キャスト
[編集] 関連事項
[編集] 註
- ^ a b c マキノ雅裕『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』(平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016)、p.446-450(初版)の記述を参照。なお、同箇所では本作の脚色者の正体は明かされていない。
- ^ 東京国立近代美術館フィルムセンター「所蔵映画フィルム検索システム」での検索結果の記述を参照。