建中寺
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建中寺 | |
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本堂 |
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所在地 | 愛知県名古屋市東区筒井1丁目7番地57号 |
山号 | 徳興山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 慶安4年(1651年) |
開基 | 徳川光友 |
正式名 | 徳興山 崇仁院 建中寺 |
文化財 | 総門など8つ(市指定文化財)、徳川家霊廟(県指定文化財)、徳興院(国登録文化財) |
建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区にある浄土宗の寺院。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。
1651年(慶安4年) に第2代尾張藩主徳川光友が、父である第1代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立した。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、四万八千坪(158,400㎡)の境内に多数の堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。1785年(天明5年)の大火災で総門・三門などを除く多数の建物が焼失したが、翌1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて再建された。現在では境内の規模は創建当時よりも小さくなっている。
目次 |
[編集] 略史
- 1651年(慶安4年) - 弘経寺より成誉廓呑(じょうよかくどん)上人を招き、徳川光友が徳川義直の菩提を弔うために建立。
- 1652年(慶安5年) - 大殿・総門・三門・塔頭などが完成。
- 1700年(元禄13年) - 第3代尾張藩主徳川綱誠の廟・御霊屋が建立。
- 1701年(元禄14年) - 第2代尾張藩主徳川光友の廟・御霊屋が建立。
- 1713年(正徳3年) - 第4代尾張藩主徳川吉通の廟・御霊屋が建立。
- 1714年(正徳4年) - 第5代尾張藩主徳川五郎太の廟・御霊屋が建立。
- 1731年(享保16年) - 第6代尾張藩主徳川継友の廟が建立。
- 1762年(宝暦12年) - 第8代尾張藩主徳川宗勝の廟が建立。
- 1765年(明和12年) - 第7代尾張藩主徳川宗春の廟が建立。
- 1785年(天明5年) - この年、天明の大火災が発生。多数の建物が消失。
- 1786年(天明6年) - 開山堂が建立。
- 1786年(天明6年) - 御霊屋のほか、本堂・鐘楼などが建立。
- 1799年(寛政11年) - 第9代尾張藩主徳川宗睦の廟が建立。
- 1828年(文政11年) - 経蔵が建立。
- 1839年(天保10年) - 第12代尾張藩主徳川斉温の廟が建立。
- 1845年(弘化2年) - 第12代尾張藩主徳川斉荘の廟が建立。
- 1849年(嘉永2年) - 第13代尾張藩主徳川慶臧の廟が建立。
- 1850年(嘉永3年) - 第10代尾張藩主徳川斉朝の廟が建立。
[編集] 現在
第二次大戦後の区画整理などにより、現在では境内の規模は建造当時よりも縮小しており、かつての寺域は東区役所や東海高校、あずま中学校、筒井小学校などとなっている。また、三門前にある建中寺公園は、かつて7つの塔頭(宗心院・甲龍院・誓安院・全順院・正信院・光寿院・養寿院)があった場所である。歴代藩主の墓所も光友のものを除いては平和公園に移されている。また、明治期からにかけて、廟や門など建物の中には、名古屋市内、もしくは近辺の寺院に移築されたものも多い。
有形文化財など、現在残っている主要なものは、以下の通り。
- 建中寺公園の前(南側)にある。
- 光友の墓所。
- 御成門 - 1714年(正徳4年)建立。四脚平唐門。名古屋市指定有形文化財。
- 鐘楼 - 1787年(天明7年)建立。木造、桁行三間・梁間二間の入母屋造、袴腰付。名古屋市指定有形文化財。
- 内外とも華麗で色彩的な装飾が施されている。なお現在霊廟は覆屋に覆われており外部から見ることはできない。
- 大蔵経五千八百巻が納められている。
- 徳興殿 - 1896年(明治29年) 旧名古屋商工会議所。国登録文化財。
また隣には建中寺幼稚園が存在する。
[編集] 建中寺の霊廟や門が移築された寺院
[編集] 所在地
愛知県名古屋市東区筒井1丁目7番地57号
[編集] 交通機関
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 建中寺公式ページ
- 愛知県図書館絵図検索 城下重ね絵図- かつての寺域を現在の地図と比較できる。