市村羽左衛門 (17代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
17代目市村 羽左衛門(いちむら うざえもん、大正5年(1916年)7月11日 - 平成13年(2001年)7月8日)は昭和・平成期の歌舞伎役者・座元。本名は坂東 衛。俳名は可江。屋号は橘屋。紋は根上り橘。舞踊家藤間善蔵としても知られる。人間国宝。
6代目坂東彦三郎の子。1921年10月帝国劇場『名月八幡祭』の鶴吉の役で3代目坂東亀三郎を名乗り初舞台。1935年3月歌舞伎座で『音羽獄だんまり』奴伊達平役で7代目坂東薪水を襲名し名題昇進。1942年10月歌舞伎座『双面』で7代目坂東彦三郎を襲名。1955年10月歌舞伎座『石切梶原』で17代目市村羽左衛門を襲名。派手さはないが堅実な芸風の立役として時代物、世話物で模範的演技を示し、「歌舞伎界の生き字引」と称された。
当り役は、時代物では『近江源氏先陣館』の盛綱、『摂州合邦辻』の合邦、『仮名手本忠臣蔵』の由良之助・師宣・平右衛門、『伽羅先代萩』の仁木弾正・渡辺外記、『菅原伝授手習鑑』の源蔵・白太夫。世話物では『青砥稿花紅彩画』の日本黙右衛門、『助六』のくわんぺら門兵衛、『梅雨小袖昔八丈』の弥太五郎源七、『暗闇の丑松』の四郎兵衛、『河庄』の孫右衛門、『三人吉三廓初買』の伝吉、『盲長屋梅加賀鳶』の松蔵、『神明恵和合取組』の炊出しの喜三郎など、特に晩年7代目尾上菊五郎と共演した『鼠小紋東君新形』の与惣兵衛は、人生の苦渋が滲み出た老役で絶品と評された。子に8代目坂東彦三郎、2代目市村萬次郎、4代目河原崎権十郎、孫に5代目坂東亀三郎、坂東亀寿、6代目市村竹松がいる。
[編集] 受賞歴
他