川口浩
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かわぐち ひろし 川口 浩 |
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生年月日 | 1936年8月22日 |
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没年月日 | 1987年11月17日(満51歳没) |
出生地 | 日本, 東京都 |
ジャンル | 俳優、タレント、探検家 |
活動期間 | 1956年 - 1987年 |
活動内容 | 1956年:映画デビュー 1956年:『処刑の部屋』 1977年:『川口浩探検隊』 |
配偶者 | 野添ひとみ |
主な作品 | |
『処刑の部屋』 『妻は告白する』 『浮草』 『おとうと』 |
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備考 | |
『水曜スペシャル』川口浩探検隊隊長 | |
川口 浩(かわぐち ひろし、1936年8月22日 - 1987年11月17日)は映画俳優・タレント・探検家。東京生まれ。父は作家で大映専務の川口松太郎、母は女優の三益愛子。妻は女優の野添ひとみ。弟は俳優の川口恒、川口厚。妹は国重晶(陶芸家、元女優川口晶)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
慶應義塾高等学校中退後、俳優座演劇研究所に入学。1956年、映画『裁かれる十代』でデビュー。同年、初の主演作『処刑の部屋』で注目を集める。以降、大映現代劇の若手2枚目トップスターとして多くの映画に主演し、京マチ子、若尾文子、山本富士子、岸惠子らと共演。映画代表作に増村保造監督の『巨人と玩具』『妻は告白する』、小津安二郎監督の『浮草』、市川崑監督の『おとうと』などがある。
1962年に大映を退社以降は、テレビに活躍の場を移し、テレビドラマ『キイハンター』に出演。1969年、株式会社川口プロモーションを設立。フジテレビ競馬中継の司会・解説を努めるかたわら、1970年、川口浩探検隊の前身の『ザ・ショック!!』(日本テレビ系)を企画・出演。
1977年にスタートした『水曜スペシャル』(テレビ朝日系)「川口浩探検隊」シリーズ(全43回)が人気を博した。同シリーズは人気シリーズであったにもかかわらず、長らく再放送(時々夏休みと冬休みの時期、そして1992年3月に一部の番組が一度された)もビデオ化もされなかったが、2005年1月26日にユニバーサルから人気シリーズ6本が初めてDVD化された。この探検隊で1983年6月に放送された番組内にてピラニアに指を噛まれて大怪我をしたのは有名な話である。このピラニア事件は正真正銘の不慮の事故であったが、番組内の毒蛇や毒蜘蛛に襲われたり底なし沼にはまるなどのアクシデントシーンは殆どがヤラセであった。そのことを皮肉った曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」を嘉門達夫が歌い、ヒットさせている。
家族は、野添ひとみと2人の娘の4人家族だったが、悲運の生涯であった。1982年に母・三益愛子が死去。翌1983年に次女が死去。1985年に父・松太郎が亡くなるのと同時に本人も胃ガンと診断され、手術後に闘病生活に入るが、1987年11月17日に食道癌の為、死去。享年52(満51歳没)。妻の野添も1995年に死去した。
[編集] 競馬
川口浩は野添ひとみ夫人と一緒に、1970年代前半にはフジテレビで競馬中継の司会・解説を務めたほどの競馬ファンとして知られたが、自身もマルガリータ、マスカラーデなど中央競馬でも競走馬を所有し、活躍馬を出していたことでも知られた。
[編集] 出演作品
[編集] 映画
- 「処刑の部屋」(1956年/大映東京/市川崑監督)
- 「満員電車」(1957年/大映東京/市川崑監督)
- 「くちづけ」(1957年/大映東京/増村保造監督)
- 「巨人と玩具」(1958年/大映東京/増村保造監督)
- 「浮草」 Floating Weeds (1959年/大映東京/小津安二郎監督)
- 「おとうと」 Tendre et Folle Adolescence (カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞作品。1960年/大映東京/市川崑監督)
- 「妻は告白する」(1961年/大映東京/増村保造監督)
- 「お嬢さん」(1961年/大映東京/弓削太郎監督)
[編集] ドラマ
- 第171話/情無用サラリーマン稼業
- 第182話/サラリーマン・殺人旅行
[編集] バラエティ
- 「『水曜スペシャル』川口浩探検隊」(1977年~1985年)
- 「日立 世界・ふしぎ発見!」
- 「笑っていいとも」(テレフォンショッキング・ゲスト)