尹良親王
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尹良親王(ただよし(ゆきよし)しんのう、生年不詳 - 応永31年8月15日(1424年9月7日))は、南北朝時代・室町時代の皇族で宗良親王の第2皇子、後醍醐天皇の皇孫にあたる。
[編集] 生涯
出生地については諸説あり、父宗良親王が長年拠点とした信濃国大河原(現、長野県大鹿村)や、遠州に漂着後しばらく滞在した遠江国井伊谷(現、静岡県浜松市引佐町井伊谷)であったとされ、それに付随して母も知久氏の女や井伊道政(徳川家康の重臣井伊直政の祖)の娘と諸説ある。
元中3年(1386年)南朝より源朝臣を賜姓(後醍醐源氏)され、征夷大将軍右近衛大将となって各地を転戦するが、応永31年(1424年)上野国から三河国に向かう途中、信濃国浪合村(長野県下伊那郡阿智村)の山麓で敵軍(北朝側の土豪・地侍)に囲まれ、自害したという。
尹良親王や子の良王親王(尹重)の事跡については、宝永6年(1709年)に天野信景(尾張藩士。江戸中期の国学者)が書写した著本の『波合記』という軍記物が残されている。しかし、この書は史料としての信憑性については異論(1386年説・1424年説など)も多く、詳しい事績については不明なままとなっている。
次子の良新親王は津島神社の神職となり、子孫は社領のある尾張国中島郡氷室村から氷室を称して明治に至ったとされる。
[編集] 関連項目
- 天皇家
- 後醍醐源氏
- 大橋氏系図
宗良親王━【源】尹良━尹重━女子━桓武平氏【大橋】信重━貞広━貞安 1394
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