小宮悦子
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こみや えつこ
小宮 悦子 |
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プロフィール | |
愛称 | えっちゃん |
出身地 | 日本 埼玉県入間市 |
生年月日 | 1958年4月18日(50歳) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 東京都立大学人文学部社会学科 |
職歴 | 元テレビ朝日アナウンサー |
活動期間 | 1981年~ |
ジャンル | 報道・情報 |
出演番組・活動 | |
現在 | 『スーパーJチャンネル』 |
過去 | 『ニュースステーション』など |
備考
テレビ朝日と専属契約を結んでいる。 |
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小宮 悦子(こみや えつこ、1958年4月18日- )は、埼玉県入間市出身のテレビキャスター、元テレビ朝日アナウンサー。血液型はA型。左利き。ニックネームはえっちゃん。地元のJリーグの浦和レッドダイヤモンズとロベルト・バッジョのファン。
目次 |
[編集] 来歴
入間市立豊岡小学校、入間市立豊岡中学校、埼玉県立川越女子高等学校、東京都立大学人文学部社会学科卒。
1981年、テレビ朝日入社。1985年10月スタートの『ニュースステーション』の初代サブキャスターを務め、久米宏との名コンビで視聴者の支持を集める。1991年に退社し、フリーに。フリーとしての初仕事は大ファンである小田和正へのロングインタビューであった(1992年1月、NHKBS2で『追いかけて、追い続けて~小田和正の世界』として放映)。しかし、フリーアナウンサーになってかなりの年数が経つものの退社後もテレビ朝日と専属契約を結んでいるためか、いまだテレビ朝日以外の局での出演がほとんどない(テレビ朝日以外に出演した局はBSフジやTBSラジオなど)。
漫画『クレヨンしんちゃん』では、主人公の野原しんのすけが小宮に好意を抱いており、作中にも何度か登場している。1994年公開の映画『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』では、小宮悦子役として小宮自身が出演した。
[編集] 人物
[編集] 小学校時代
- マンガが好きで上手だったので愛称は「マンガ王」。当時の担任の話。「勉強はオールマイティー。それでいて優越感に浸ることもなかったですね。よく前に出て、自分の言葉でわからない子に説明したりもしてました。学級委員や児童会の役員なんかもしてよくクラスをまとめてくれていました。」『私と先生』と題した朝日新聞のインタビュー記事で彼女は語っている。「小学校5・6年のとき早くも人生の黄金時代を迎えてしまったんです。何の屈託もなくて、何もかも思い通りにいって…。そういう楽しい2年間だったんですよ」。
- 埼玉県の小学生読書感想文コンクールで銀賞、タイトルは「あしながおじさんを読んで」。
[編集] 中学校時代
- バスケットボール部に所属し生徒会の役員。
- 運動会にリレー選手として出場したがバトンミスで失格、悔し泣きをする。
- 本人いわく「ずる休みをするような子になっちゃいました」と語っているが、「前向きな姿勢で何ごとにも取り組む子で頭もよかった。生徒会の役員もやって、ほかの生徒と1ランク水をあけるだけの力を持っていました。何かの行事のときにでも彼女に任せておけば安心で担任としては随分助けられました。」と中学時代の担任・K先生の証言。
[編集] 高校・大学時代
- 放送研究会に所属。高1の終わりから2年の初めまで急性肝炎にかかり入院、2ヶ月休学。
- 高2の時に浦和高校の男子生徒らと「スイッチ・オン」というバンドを結成、ボーカルを担当。荒井由実、かぐや姫、ハイ・ファイ・セットなどをレパートリーとし、高校の文化祭や地域の公民館などでコンサートを開いていた。尚、バンド仲間として後に結婚する最初の夫と出会っている。
[編集] テレ朝時代
- 1983年に商社勤務の同い年の男性と結婚。夫が標榜するDINKS(ダブル・インカム・ノー・キッズ=子供を持たない共稼ぎ)式結婚の理想カップルとして雑誌の取材にもよく登場したが、1989年1月7日に離婚。
- 1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故で、搭乗者の中に同姓同名(読みも同じ)の「小宮悦子」という女性がおり、年齢も彼女とほぼ同じだったため多くの人に勘違いされ、テレビ朝日に視聴者から多数の問い合わせがあったという(当然ながら、小宮キャスターとこの犠牲者の女性は全くの無関係である)。
- 1994年12月31日に10歳年下の当時『ニュースステーション』のディレクターと再婚したが、その後夫の不倫が発覚し2007年3月に離婚。
- ニュースステーションにゲスト出演したプロ野球オリックス監督の仰木彬に始球式を務めることを任され快諾したが試合は雨天中止になった。