安田理大
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安田理大 | ||
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名前 | ||
愛称 | ミチ | |
カタカナ | ヤスダ ミチヒロ | |
ラテン文字 | YASUDA Michihiro | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1987年12月20日(20歳) | |
出身地 | 大阪府吹田市 | |
身長 | 173cm | |
体重 | 65kg | |
血液型 | O型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ガンバ大阪 | |
ポジション | MF | |
背番号 | 13 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
2006- | ガンバ大阪 | 31 (0) |
代表歴 | ||
2008- | 日本 | 4 (0)
|
安田 理大(やすだ みちひろ、1987年12月20日-)は、兵庫県神戸市生まれ、大阪府吹田市出身のサッカー選手。MF。大阪府立吹田東高等学校卒業。Jリーグ・ガンバ大阪所属。
目次 |
[編集] プレースタイル
右利きだが左サイドを担当することの多いドリブラーである。「仕掛ける」という意識が高く、優れた足元の技術を生かした果敢な攻撃参加が武器。選手登録上のポジションは今なおミッドフィルダーであるが、所属のガンバ大阪では左サイドバックとして定着し、思い切りのいい攻め上がりを見せている。レギュラー定着により守備力も大幅に改善した。ドリブル突破後のクロス、シュートの精度も最近急激に成長している。
[編集] 略歴
兵庫県神戸市に生まれ、5歳の時に大阪府吹田市に引っ越す。本人によればサッカーと出会ったのはその頃で、近所の友達と毎日サッカーをしていた。小学4年生からガンバ大阪の下部組織に所属する。
ユース時は中盤がほぼフラットの4-4-2で左SHを務め、試合展開によってはFWに近い位置で起用されたこともある。年代別代表にも名を連ね、AFCユース選手権予選のU-18日本代表対U-18北朝鮮代表戦では、途中出場ながら決勝点を挙げて本大会出場を決めた。このチームでは左サイドバックでの起用が多かった。
2006年にガンバ大阪ユースからトップに昇格した6人組、通称「G6」の一人としてトップチーム入り。当初は中盤でプレーしていたが、2007年は世代別代表で経験のあった左サイドバックとして抜擢され、ゼロックススーパーカップ浦和レッドダイヤモンズ戦で初スタメンを飾り、得意のドリブルで浦和レッズの守備陣を翻弄。ガンバ大阪の初優勝に貢献した(本人曰く、「俺(運を)持ってるな!」とのこと)。そのプレーは日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン、日本代表監督イビチャ・オシムから絶賛された。
その後の開幕戦でもスタメンで出場し、レギュラーの1人として活躍。ナビスコカップでは「ニューヒーロー賞」を受賞。さらに、決勝戦ではプロ初のゴールが決勝ゴールとなり、MVPを受賞。ニューヒーロー賞とナビスコカップMVPのダブル受賞は田中達也(浦和)に次いで2人目だった。こうして飛躍の年となった2007年だったが、12月には岡田監督就任後初めてのA代表合宿に招集される。2008年1月、再び代表合宿に招集されるもキリンチャレンジカップのメンバーからは外れる。しかし、直後の東アジア選手権メンバーに追加招集され、2月17日の北朝鮮戦で途中出場を果たし念願のA代表デビューを果たした。
[編集] エピソード
- 小学生の時はガンバのファンクラブに入っており、ホーム万博の試合は毎試合観戦し、いつか自分もそのピッチに立つことが夢であった。
- 高校3年時に出場したプリンスリーグU-18関西大会決勝戦、対滝川第二高等学校戦にて、左サイドハーフェイラインから単独でドリブル突破を敢行。次々と相手DFを抜き去り、左45度から左足でニアサイドを破り豪快にゴールネットを揺らせた強烈なドリブルシュートは印象的。
- 兄も含め3兄弟揃ってガンバ大阪ジュニアユースの出身。U-17日本代表の経験を持つ末弟安田晃大もガンバ大阪ユースから2008年にトップチームへ昇格。
- 2007年3月11日J1第2節鹿島アントラーズ戦でイエローカード2枚で退場処分。試合後西野監督に髪色(金髪)を指摘され、翌日反省の意味を込めて丸刈りになった。
- 2007年8月9日に、結婚を発表した。夫人(当時23歳)は妊娠8ヵ月で9月16日、第1子となる長女が誕生した。(実際に入籍したのは5月1日)
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1997年 - 1999年 ガンバ大阪ジュニア
- 2000年 - 2002年 ガンバ大阪ジュニアユース
- 2003年 - 2005年 ガンバ大阪ユース
プロ経歴
- 2006年 - 現 在 ガンバ大阪
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | G大阪 | 33 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2007 | G大阪 | 13 | J1 | 29 | 0 | 9 | 1 | 3 | 0 | 41 | 1 |
2008 | G大阪 | 13 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 31 | 0 | 9 | 1 | 3 | 0 | 43 | 1 | |
総通算 | 31 | 0 | 9 | 1 | 3 | 0 | 43 | 1 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2008 | G大阪 | 13 | ||
通算 | AFC |
[編集] 経歴
- 2006年4月1日 - プロ初出場(Jリーグ) - 対清水エスパルス戦(日本平スタジアム)
- 2007年11月3日 - プロ初得点(ヤマザキナビスコカップ) - 対川崎フロンターレ戦(国立競技場)
- 2008年2月17日 - A代表初出場(東アジア選手権) - 対北朝鮮戦(重慶オリンピックスポーツセンター/中国)
[編集] 代表歴
- U-14日本選抜
- U-15、U-16、U-17
- U-18
- AFCユース選手権2006(U-18) 予選グループ
- U-19
- U-20
- U-22(2007年)日本代表
- U-22 4カ国トーナメント2007中国・瀋陽
[編集] CM出演
[編集] 外部リンク
GK |
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1 松代直樹|22 藤ヶ谷陽介|26 木下正貴|29 木村敦志 |
DF |
2 中澤聡太|3 ミネイロ|5 山口智|6 福元洋平|19 下平匠|21 加地亮|28 植田龍仁朗 |
MF |
7 遠藤保仁|8 寺田紳一|10 二川孝広|13 安田理大|16 佐々木勇人|17 明神智和|20 倉田秋|23 武井択也|27 橋本英郎|31 安田晃大 |
FW |
9 ルーカス|11 播戸竜二|14 平井将生|18 バレー|24 星原健太|25 岡本英也|30 山崎雅人 |
スタッフ |
監督 西野朗|コーチ 和田治雄|コーチ 片野坂知宏|フィジカルコーチ ブローロ|GKコーチ マルキーニョス|マスコット ガンバボーイ|球団代表 佐野泉 |