太地喜和子
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太地 喜和子(たいち きわこ、1943年12月2日 - 1992年10月13日)は、日本の女優。
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[編集] 来歴・人物
和歌山県東牟婁郡太地町出身(芸名は出身地から命名)。自身の出生について「自分はさる事情から生後すぐ実母との別離を余儀なくされ(ひとかどの名士で子がなかった)養父母の元に引き取られたと高校在学中に知った。」と談話している。尚太地の実母については某著名人ら数名の名が取りざたされたこともあるが太地自身が逝去して久しい今も不詳のままである。ただし、太地の母はこのことを強く否定している。太地特有の考えによる狂言の可能性もある。
東京の松蔭高校生の時、東映ニューフェイスオーディションに合格。当初は志村 妙子(しむら たえこ)という芸名で映画に端役で出演していた。その後俳優座養成所をへて文学座入団。1967年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、物怖じせずヌードやベッドシーンを大胆にこなし、一躍注目される。
舞台女優として『欲望という名の電車』、『近松心中物語』、『唐人お吉』などで活躍。文学座の大女優・杉村春子の後継者としての期待が高まり、実力派として君臨したが、1992年10月13日、『唐人お吉』公演中に海に車が転落する事故により48歳でこの世を去った(同乗者は泳いで九死に一生を得たものの、太地は元来泳げなかった上[1]、乗車前に深酒をしていたことがたたったといわれる)。 死後、大親友のカルーセル麻紀が自身の舞台上で「喜和子~!!」と叫び号泣した。
文学座座員だった秋野太作と結婚するも、スピード離婚。その後は三國連太郎、中村勘三郎 (18代目)、尾上菊五郎 (7代目)などとのロマンスが取り沙汰されたこともあったが、「女優は夢を売る職業だから見ている人にこの人は帰ったら書宅があると思わせてはいけない」と言う考えがあったらしく、結局他界まで独身を通した。また当時の演劇界・芸能界の女性としては池波志乃らと共に大変な酒豪で鳴らした。
コメディアン・志村けんの大ファンで、その縁で『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に出演したほか、『志村けんのだいじょうぶだぁ』ではコントにも挑戦。柄本明と共に常連ゲストとなり、亡くなった際には追悼企画が放送されるほどだった。
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- 新・七色仮面(1960年、NET)
- ナショナルキッド(1960年、NET)
- ふりかえった娘(1969年、日本テレビ)
- 若い恋人たち(1969年、フジテレビ)
- 春の坂道(1971年、NHK) - おくに
- 幻化(1971年、NHK)
- 天下御免(1971年、NHK)
- おらんだ左近事件帖 第20話「病める麦」(1972年、東宝・フジテレビ)
- 太陽にほえろ! 第11話「愛すればこそ」(1972年、東宝・日本テレビ)
- ジキルとハイド 第8話「ある目覚め」(1973年、東宝・フジテレビ)
- 国盗り物語(1973年、NHK) - 寧々
- 木枯し紋次郎 第2シリーズ 第13話「怨念坂を蛍が越えた」(1973年、フジテレビ) - お六
- 子連れ狼(ユニオン映画・日本テレビ)
- 第1部 第1話「子貸し腕貸しつかまつる」(1973年) - お浜
- 第2部 第3話「柳生草術五車」(1974年) - おしな
- 非情のライセンス 第1シリーズ 第37話「兇悪のビーナス」(1973年、東映・NET)
- 座頭市物語 第4話「縛られ観音ゆきづり旅」(1974年、勝プロ・フジテレビ) - お駒
- 風と雲と虹と(1976年、NHK) - 武蔵
- 横溝正史シリーズII 黒猫亭事件(1978年、毎日放送)
- 白い巨塔(1978年 - 1979年、フジテレビ) - 花森ケイ子
- 新・座頭市 第3シリーズ 第24話「おてんとさん」(1979年、勝プロ・フジテレビ) - おりん
- 心中宵庚申(1984年、NHK)
- おさんの恋(1985年、NHK)
- 但馬屋のお夏(1986年、NHK)
- 女性作家サスペンス「蔵の中」(1988年、松竹・関西テレビ)
[編集] バラエティ
- 森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ系)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ系)
[編集] 映画
- 悪魔の手毬歌(1961年)
- 監督:渡辺邦男
- 鉄火若衆(1962年)
- 監督:佐々木康
- ひばりの母恋いギター(1962年)…美空ひばり主演。
- 監督:佐伯清
- 民謡の旅・桜島 おてもやん(1962年)…同上。
- 監督:渡辺邦男
- まぼろし天狗(1962年)
- 監督:中川信夫
- 情炎(1967年)
- 花を喰う蟲(1967年)
- 監督:西村昭五郎
- 薮の中の黒猫(1968年)
- 監督:新藤兼人
- 弾痕(1969年)
- 監督:森谷司郎
- ひとりっ子(1969年)
- 監督:家城巳代治
- 無頼漢(1970年)
- 監督:篠田正浩
- 君が若者なら(1970年)
- 監督:深作欣二
- 触角(1970年)
- 監督:新藤兼人
- 裸の十九才(1970年)
- 監督:新藤兼人
- やくざ絶唱(1970年)
- 監督:増村保造
- 日本一のショック男(1971年)
- 監督:坪島孝
- 告白的女優論(1971年)
- 監督:吉田喜重
- 顔役(1971年)
- 監督:勝新太郎
- 人間標的(1971年)
- 監督:井上梅次
- コント55号とミーコの絶体絶命(1971年)
- 監督:野村芳太郎
- 喜劇 泥棒大家族 天下を取る(1972年)
- 監督:坪島孝
- 新座頭市物語 折れた杖(1972年)
- 監督:勝新太郎
- 喜劇 男の泣きどころ(1973年)
- 監督:瀬川昌治
- 花と竜 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇(1973年)
- 監督:加藤泰
- 悪名 縄張り荒らし(1974年)
- 監督:増村保造
- 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇(1974年)
- 監督:三隅研次
- 喜劇 男の腕だめし(1974年)
- 資金源強奪(1975年)
- 監督:深作欣二
- 喜劇 女の泣きどころ(1975年)
- 監督:瀬川昌治
- 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(1976年)
- 監督:山田洋次
- 獄門島(1977年)
- 監督:市川崑
- 新宿馬鹿物語(1977年)
- 監督:渡辺祐介
- 皇帝のいない八月(1978年)
- 監督:山本薩夫
- 火まつり(1985年)
- 監督:柳町光男
- 父(1988年)
- 監督:木下惠介
[編集] CM
- 日清食品 ほんうどん
- マルキン醤油 しぼりたて生しょうゆ
- 富士重工業スバル・レオーネ・NEWレオーネハードトップ 1978年
- 大関酒造株式会社(現・大関 (酒造メーカー)株式会社) 日本酒「大関」 (「白い巨塔 (テレビドラマ 1978年)」でも共演した田宮二郎と。キャッチコピーは「酒は大関、心意気」)
[編集] 書籍・参考文献
- 欲望という名の女優 太地喜和子 - 長田渚左(角川文庫)ISBN 4043425015
- フォーカスな人たち - 井田真木子(新潮文庫)ISBN 4101259313
- 太地喜和子伝説 - 大下英治(河出書房新社)ISBN 4309013325
[編集] 太地喜和子を演じた女優
[編集] 関連項目
[編集] 注
- ^ 「洗面器の水でも溺れてしまう」とカナヅチであることを語っていた