大藤信郎賞
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大藤信郎賞(おおふじのぶろうしょう)とは、「毎日映画コンクール」において、日本のアニメーションの先駆者である大藤信郎を称え、1962年に創設された賞。略して「大藤賞」とも呼ばれる。
1961年に大藤信郎が死去。大藤の唯一の遺族である姉が毎日映画コンクールへ遺産を寄託して、これを基金として開始された。選定委員による討議と多数決により、アニメーション映画の製作領域で、その年度内に特に成果をあげたと思われる個人またはグループに贈られる。1989年度より、毎日映画コンクール内に大藤賞とは別に、アニメーション映画賞が設けられ、棲み分けが行なわれるようになった。
[編集] 受賞作リスト
- 1962年度 「ある街角の物語」の手塚治虫
- 1963年度 「わんぱく王子の大蛇退治」の東映動画スタッフ
- 1964年度 「殺人 MURDER」の和田誠
- 1965年度 久里洋二、「ふしぎなくすり」の村治夫と岡本忠成をはじめとする電通映画制作グループ
- 1966年度 「展覧会の絵」の手塚治虫
- 1967年度 「二匹のサンマ」「部屋」の久里洋二
- 1968年度 「みにくいあひるのこ」の学習研究社
- 1969年度 「やさしいライオン」の虫プロダクション
- 1970年度 「花ともぐら」「ホーム・マイホーム」の岡本忠成とその制作グループ、大藤賞委員会特別賞に日本動画株式会社
- 1971年度 「てんまのとらやん」のビデオ東京
- 1972年度 「鬼」の川本喜八郎
- 1973年度 「南無一病息災」のエコー
- 1974年度 「詩人の生涯」の川本喜八郎
- 1975年度 「水のたね」の岡本忠成
- 1976年度 「道成寺」の川本喜八郎
- 1977年度 「虹に向かって」の電通映画社
- 1978年度 該当作なし
- 1979年度 「ルパン三世 カリオストロの城」の東京ムービー新社
- 1980年度 「スピード」の古川タク
- 1981年度 「セロ弾きのゴーシュ」のOHプロダクション
- 1982年度 「おこんじょうるり」の桜映画社とエコー
- 1983年度 「はだしのゲン」のゲンプロダクション
- 1984年度 「風の谷のナウシカ」の徳間書店と博報堂
- 1985年度 「銀河鉄道の夜」の朝日新聞社、テレビ朝日、日本ヘラルド映画グループ
- 1986年度 「天空の城ラピュタ」の宮崎駿と制作スタッフ、徳間書店
- 1987年度 「森の伝説」の手塚プロダクション
- 1988年度 「となりのトトロ」におけるアニメーション作家としての宮崎駿のオリジナリティに対して
- 1989年度 該当作なし
- 1990年度 「いばら姫、またはねむり姫」の川本喜八郎
- 1991年度 「注文の多い料理店」の岡本忠成
- 1992年度 該当作なし
- 1993年度 「銀河の魚」のたむらしげる
- 1994年度 該当作なし
- 1995年度 「MEMORIES」における大友克洋の総指揮に対して
- 1996年度 「るすばん」のN&Gプロダクション
- 1997年度 該当作なし
- 1998年度 「水の精・河童百図」の白組
- 1999年度 「老人と海」のアレクサンドル・ペトロフと技術スタッフ
- 2000年度 「BLOOD THE LAST VAMPIRE」
- 2001年度 「くじらとり」のスタジオジブリ
- 2002年度 「千年女優」の今敏
- 2003年度 「冬の日」 - 川本喜八郎の企画及び総合演出
- 2004年度 「マインド・ゲーム」
- 2005年度 「tough guy!2005」の岸本真太郎
- 2006年度 「鉄コン筋クリート」
- 2007年度 「カフカ 田舎医者」の山村浩二