大師東丹保遺跡
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大師東丹保遺跡(だいしひがしたんぼいせき)は、山梨県南アルプス市(旧中巨摩郡甲西町大師字東丹保)にある遺跡。13世紀(鎌倉時代)の村落遺跡。
鎌倉時代の集落遺跡は県内では珍しく、木製品など膨大な有機遺物が出土していることから注目されている。
県西部、甲府盆地の南西に位置。南アルプス市の南端にあたる。西郡一帯は市域東端を南流する釜無川の沖積平野で、遺跡は滝沢川と坪川で画された複合扇状地上に立地する。標高は245m付近。付近は『和名類聚抄』に見られる巨摩郡大井郷に成立した大井荘と比定され、平安時代末期には甲斐源氏の勢力が及んでいる。南北朝時代に甲斐国守護武田信武の子信明が大井荘に拠り大井氏を称して国人領主化し、大井氏は鮎沢や荊沢を本拠に西郡一帯に勢力を及ぼした。荊沢には市も成立し、付近には富田城や古長禅寺など大井氏に関係する史跡が残されている。出土遺物の分析により遺跡は13世紀後半から14世紀前半のものと推定されており、大井氏入部以前の村落と位置づけられる。
1993年(平成5年)から翌年にかけて、甲西道路(国道52号)や中部横断自動車道の建設に際して発掘調査が行われる。調査範囲は東西30m、南北400mの範囲で、南北にⅠ~Ⅳが設定された。
遺構では掘立柱建物跡や井戸、水路と推定される溝や水田遺構、畑と考えられている畝状遺構や全区画に見られる杭列などが検出されている。建物跡は計7棟あり、Ⅱ区に4棟の建物が集中し、祭祀具などの遺物も集中していることから支配階層の居住区であると考えられている。南北方向に水路が配され、Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ区には区画された水田が点在している。
出土遺物はかわらけ等の土器類のほか国産や中国産の陶磁器、刀子や鏃などの金属器や銭貨のほか、大量の木製品が出土している。有機遺物では馬など動物の骨格があり、木製品では漆椀や箸、曲物や下駄、草履や櫛、扇子などの日用品や装身具、水田の畦畔に差し込まれる斎串や人形(形代)、呪符などの祭祀・呪術具、同時代の絵画資料に見られ建築材と考えられている網代などが出土している。
集落は13世紀の開発村落であると推定されており、160年あまり存続した。杭列が南に傾斜していることから北方からの洪水被害を受け放棄されたと考えられている。
また、市内(旧甲西町田島)に位置する油田遺跡にも見られる弥生時代終期の地割れや液状化跡などの地震痕も検出されている。
出土遺物は山梨県立考古博物館に所蔵されており、網代や下駄など一部は常設展示されている。
[編集] 参考文献
- 畑大介「開発村落の風景と生活」『山梨県史通史編2中世』
- 「大師東丹保遺跡」『山梨県史資料編中世4考古』
- 小林健二「大師東丹保遺跡」『甲斐路87』(1997)
- 新津健「大師東丹保遺跡Ⅱ区出土の土製鍋について」『2003山梨考古学ノート』