大友工
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大友 工 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県出石郡出石町(現豊岡市) |
生年月日 | 1925年2月1日(83歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1949年 |
初出場 | 1950年 |
最終出場 | 1960年 |
経歴 | |
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大友 工(おおとも たくみ、1925年2月1日 - )は読売ジャイアンツおよび近鉄バファローに所属していたプロ野球選手(投手)。1959年から1961年まで登録名大友 工司(おおとも こうじ)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
兵庫県出石郡出石町(現豊岡市)生まれ。大阪逓信講習所の一員として甲子園出場。その後但馬貨物等で軟式野球を経験し、その球威を買われてジャイアンツに入団する。入団後に投法をサイドスローに変更。入団2年目の1950年にプロ入り初勝利を挙げ、主戦投手の仲間入りをする。1952年には松竹ロビンスを相手にノーヒットノーラン達成するなど、17勝を挙げ、以後別所毅彦とともに巨人のエースとして活躍した。
前述の通り、プロ入り後に横手投げに転向しているが、これは意図的な転向ではなく、変化球の威力を増すためでもなかったという点が変わっている。実際には、直球の球威を増そうとして、投球時のステップを出来るだけ広げようとした結果、自然に身体が右へ傾くようになり、サイドスローになったのだという。本人によれば、「身体を傾けて上から投げている感じだった」
170cmあるかないかの小柄で、しかも横手投げでありながら、当時の球界を代表する速球投手でもあり、その剛速球と、右打者の外角へ鋭く曲がり、かつ伸びるスライダーを武器に活躍している。日本のプロ野球史上、直球のみで打者を牛耳ることの出来た横手投げ・下手投げ投手はほんの4、5人しかいないが、大友はその1人であった。
1953年には最優秀防御率、最多勝利の二冠(最高勝率投手でもあり、実際には投手部門の三冠すべてが1位)の上、MVPまで獲得した。オフシーズンには日米野球で来日したニューヨーク・ジャイアンツを相手に完投勝利を挙げている。
敗戦数が少なく、当時の巨人投手陣の中では最も安定度の高い投手である。1955年に30勝を挙げ、2度目の最多勝利投手となったが、この年の敗戦数はわずか6である。30勝以上の成績を挙げ、敗戦数が1桁であった投手は2リーグ分裂後大友を含めて3人のみであり(1957年の稲尾和久、1959年の杉浦忠)、セ・リーグでは大友のみである。
チーム創成期の広島カープに滅法相性がよく、18連勝の後1敗を挟んでさらに12連勝、7年間で41勝3敗、防御率0.93の記録が残っている。
1956年に死球を受けて以降は衰え、1959年オフ10年選手制度により近鉄に移籍した。1960年の引退後は近鉄の投手コーチとなった。その後1965年から1966年に中日ドラゴンズの二軍投手コーチ、1967年から1968年には一軍投手コーチを務めた。
[編集] エピソード
[編集] 所属球団
[編集] 背番号
[編集] 年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四 球 |
勝利 | 敗北 | 投球回 | 被安打 | 被本 塁打 |
与四 死球 |
奪三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950年 | 巨人 | 15 | 5 | 0 | 0 | 4 | 4 | 85 | 71 | 3 | 39 | 44 | 35 | 3.71 |
1951年 | 29 | 3 | 0 | 0 | 11 | 4 | 137.2 | 114 | 11 | 46 | 51 | 37 | 2.41(3) | |
1952年 | 40 | 9 | 4 | 2 | 17 | 8 | 207.1 | 158 | 10 | 55 | 120 | 52 | 2.25(4) | |
1953年 | 43 | 22 | 3 | 4 | 27 | 6 | 281.1 | 199 | 13 | 64 | 173 | 58 | 1.85(1) | |
1954年 | 48 | 17 | 5 | 4 | 21 | 15 | 278.2 | 202 | 13 | 71 | 199 | 52 | 1.68(2) | |
1955年 | 42 | 25 | 7 | 3 | 30 | 6 | 303.2 | 213 | 15 | 63 | 206 | 59 | 1.75(6) | |
1956年 | 29 | 6 | 2 | 1 | 12 | 7 | 155 | 100 | 8 | 33 | 84 | 28 | 1.63 | |
1957年 | 21 | 3 | 2 | 2 | 5 | 4 | 81 | 78 | 10 | 16 | 46 | 35 | 3.89 | |
1958年 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 41.2 | 28 | 0 | 7 | 11 | 9 | 1.93 | |
1960年 | 近鉄 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 20.1 | 20 | 3 | 5 | 14 | 9 | 3.86 |
通算成績 | 294 | 90 | 23 | 16 | 130 | 57 | 1591.2 | 1183 | 86 | 399 | 948 | 374 | 2.11 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- 最優秀防御率(1953年)
- 最多勝利 2回(1953年、1955年)
- 最高勝率 2回(1953年、1955年)
- 最優秀選手(1953年)
- ベストナイン(1953年)
- 沢村賞(1953年)
- ノーヒットノーラン達成(1952年7月26日)
- オールスターゲーム出場 4回(1952年~1955年)
[編集] 関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
- 明治館 - 「大友工展示室」がある
[編集] 外部リンク
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