大内弘茂
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大内 弘茂(おおうち ひろしげ、?-1401年(応永8年))は、室町時代前期の武将。大内氏第9代当主・大内弘世の七男。第10代当主・大内義弘の弟。
1399年、応永の乱のときに兄に従って堺に籠城したが、兄が将軍・足利義満率いる幕府軍の火攻めにあって戦死したため、その軍門に降った。義満は戦後の大内氏に対する処罰として、豊前国・石見国・和泉国・紀伊国を没収すると同時に、弘茂が義満に臣従することを条件として家督相続と周防国・長門国二ヶ国の所領のみ安堵されたのである。ところが、本国の留守を守っていた大内盛見が所領没収に従わずに義満に反抗したため、義満は弘茂に盛見の討伐を命じる。弘茂は義満や安芸国、石見の諸大名から支援を受けて盛見と戦い、一時はこれを豊前に放逐したが、1401年12月に反攻してきた盛見の軍勢と長府の四王司山城で戦うが敗れ、同じく長府の佐加利山城において討ち取られた。