堀久作
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堀 久作(ほり きゅうさく 1900年 - 1974年11月14日)は、映画会社日活の元社長。
[編集] 来歴・人物
大倉高等商業(現・東京経済大学)を卒業。山王ホテル社長を経て日活に入社し、常務取締役に就任。経営危機に陥った同社を立て直すべく東宝の小林一三と手を携えたが、蛸配当の容疑にかかり逮捕される。釈放後は日活の再建に奔走。戦後の社長時代に石原裕次郎、赤木圭一郎、笹森礼子等を起用し、戦後日本映画の黄金時代を築いた立役者。
反面、日活における堀ワンマン体制は度々物議を醸し、映画部門は好調なのに過剰な不動産部門の投資の失敗で無配に転落(1962年)。同時に映画斜陽も始まり映画部門も徐々に業績が悪化させる中、1967年初頭には日活の映画製作を推進していた江守清樹郎専務、山根啓司撮影所長ら54年の映画製作再開時からの主要役員と対立、彼らを退陣に追い込んた事件や、同夏には裕次郎と三船敏郎による『黒部の太陽』の製作に強硬に反対、監督に就任した日活社員の熊井啓に解雇通知を送ったり(のちに撤回)、翌年には日活作品『殺しの烙印』の内容に大きな不満を持ち、監督の鈴木清順を解雇する。1969年春、撮影所を売却。秋には本社ビルの売却も決定。1970年3月には同じく苦境の大映と手を組み、ダイニチ映配を組織するも、焼け石に水。1971年6月にはやる気を無くし、社長を退陣。日活がロマンポルノに切り替わる半年前の出来事であった。その後は表舞台に出る事無く、1974年11月14日に死去。享年74。
1952年に江ノ島水族館を創設(開館は1954年)。息子は堀雅彦(1988年6月逝去)、義理の娘は江ノ島水族館館長の堀由紀子。