土屋寅直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代後期(幕末)から明治時代 | |||
生誕 | 文政3年2月24日(1820年4月6日) | |||
死没 | 明治28年(1895年)11月29日 | |||
別名 | 多仁丸(幼名)、采女(通称) | |||
墓所 | 茨城県土浦市大岩田町の法泉寺 | |||
戒名 | 楊軒寅直太亀院 | |||
官位 | 従五位下、采女正、従四位下、正四位、 従三位、正三位 |
|||
藩 | 常陸土浦藩主 | |||
氏族 | 土屋氏 | |||
父母 | 父:土屋彦直、 母:土屋寛直の養女(土屋英直の娘)・充子 |
|||
兄弟 | 土屋寅直、樫次郎 | |||
妻 | 正室:有馬頼徳の娘 | |||
子 | 多仁丸、、土屋質直、土屋養直、 娘(青山忠誠正室)、養子:土屋挙直 |
土屋 寅直(つちや ともなお)は、常陸土浦藩の第10代藩主。徳川斉昭の従兄弟にあたる。
文政3年(1820年)2月24日、第9代藩主・土屋彦直の長男として生まれる。天保8年(1837年)8月に従五位下・采女正に叙位・任官する。天保9年(1838年)12月7日、父が眼病を理由に隠居したため、家督を継いで第10代藩主となる。
天保14年(1843年)に奏者番に任じられ、嘉永元年(1848年)10月18日に寺社奉行に任じられる。嘉永3年(1850年)9月1日に大坂城代に任じられた。斉昭の従兄弟に当たることから安政5年(1858年)の大坂・兵庫開港に反対している。また、水戸藩で天狗党の乱が起こったときにも、その鎮圧には消極的な立場に終始するなど、佐幕派と討幕派の間で苦慮した行動が目立った。
藩政では、藩財政再建のために倹約令を出し、家臣の知行借上や特産物の専売化を行なっている。また、人材登用や郡制改革、学問の奨励など、斉昭の改革に沿った藩政改革を行なっている。
慶応4年(1868年)3月1日、新政府の命令で謹慎する。のちに新政府に恭順して江戸城警備を務めた。5月6日、養子・挙直に家督を譲って隠居する。明治28年(1895年)11月29日に死去。享年76。
|
|
|