土屋彦直
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 寛政10年5月28日(1798年7月11日) | |||
死没 | 弘化4年7月23日(1847年9月2日) | |||
別名 | 拾三郎(幼名) | |||
墓所 | 茨城県土浦市大岩田町の法泉寺 | |||
戒名 | 道誉拾山松翁賢相院 | |||
官位 | 従五位下、相模守 | |||
藩 | 常陸土浦藩主 | |||
氏族 | 水戸徳川家→土屋氏 | |||
父母 | 父:徳川治保、母:石黒氏 養父:土屋寛直 |
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兄弟 | 徳川治紀、松平義和、土屋彦直 | |||
妻 | 正室:土屋英直の娘(土屋寛直の養女)・充子 | |||
子 | 娘(毛利元運正室)、土屋寅直(長男)、樫次郎 娘(溝口直溥継室)、娘(小笠原長国正室) |
寛政10年(1798年)5月28日、常陸水戸藩主・徳川治保の三男として江戸小石川の水戸屋敷で生まれる。文化7年(1810年)10月15日に土浦藩の第8代藩主・土屋寛直が継嗣無くして死去したため、土浦藩の政治工作で寛直の養女を正室に迎えた上で彦直が婿養子として家督を継ぐこととなり、寛直は文化8年(1811年)10月2日に死去したことにして、その後の11月23日に正式に家督を継いで第9代藩主となる。
文化8年(1811年)の藩主就任直後に大火が起こって藩財政難の一因を成した。文化14年(1817年)9月10日に奏者番に任じられ、文政11年(1828年)11月1日に寺社奉行に任じられる。しかし文政2年(1819年)に旱魃、天保7年(1836年)に冷害、大洪水などの被害を受けるなど、藩財政のさらなる困窮を招いた。
天保9年(1838年)12月7日、眼病により家督を長男・寅直に譲って隠居する。弘化4年(1847年)7月23日に死去。享年50。
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