土井垣将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土井垣 将 東京スーパースターズ No.30 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1974年7月11日(33歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手、捕手 |
プロ入り | 19??年 1位 |
初出場 | 1979年8月19日 |
経歴 | |
|
|
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
土井垣 将(どいがき しょう)は、漫画『ドカベン』に登場する架空の人物。
目次 |
[編集] 概要
- 捕手、一塁手。右投右打。愛称は「闘将」。
- 土井垣武をモデルの一人にしていると考えられている。ちなみに「土井垣」という苗字は、鳥取県を中心に存在する希少苗字。
- 誕生日は7月11日(『プロ野球篇』以降の設定では1974年生まれ)。血液型はA型。身長180cm、体重75kg(プロ一年目)。山田世代より2つ上。
- かなりの強肩であり、明訓監督時代の弁慶戦の前に、打撃投手として150キロの球を投げたことがある。
- 尊敬する選手は、プロ入り当時の監督・大沢啓二と野村克也捕手。
[編集] 経歴
[編集] 高校時代
- 明訓高校時代は、強肩強打の捕手として県外でも名の知れた存在だった(他県の人間である緒方勉が知るほど)。
- 3年夏の県大会初戦の対白新高校戦の途中から、山田太郎にポジションを譲り、一塁手に転向する。
- 4番として3年夏の甲子園で優勝を果たした後、プロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズにドラフト1位で指名されるが、「明訓が負けるまで入団しない」と宣言し、明訓の監督を務める。その1年後、夏の甲子園大会で弁慶高校に敗れたため、公約どおり日本ハムに入団した。
[編集] プロ時代
- 日本ハム入団後(1979年)、後楽園球場での南海戦で、村上之宏からプロ初打席代打逆転サヨナラ本塁打を放つ。
- 『プロ野球篇』では、捕手として不知火守とバッテリーを組んだ。また、代打の切り札となっていたこともある。
- 2004年、東京スーパースターズに移籍。1年目は監督のみだったが、2年目より一塁手兼任の選手兼任監督として活躍中。山田は「守備はフォアマンより星王の方がいいが、土井垣さんは星王よりはるかにいい。打撃は星王よりフォアマンの方がよく土井垣さんと互角。総合力から土井垣さんか…」と分析している。
- 2007年の中日との日本シリーズ7戦目、故障した里中の代役を全員で務める「1イニング1投手」案を思いつき、自身も2回に登板。3者凡退に抑える。以外にも、スーパースターズ編で捕手を務めたのは、この試合が初めて。
[編集] 主な記録
- 新人王(1994年)
- 公式戦初打席代打逆転サヨナラ本塁打(1979年8月19日、南海戦) - 史上初。
[編集] 背番号
[編集] 外部リンク
- 闘将倶楽部(ファンサイト)
|
|
---|---|
作品 | 本編(中学・高校編) - 大甲子園 - プロ野球編 - スーパースターズ編 |
メインキャラ | 本編(中学・高校編)の登場人物 / 山田太郎 - 岩鬼正美 - 殿馬一人 - 里中智 - 微笑三太郎 |
人物(プロ編に登場) | 土井垣将 - 不知火守 - 土門剛介 - 影丸隼人 - 中二美夫 - 坂田三吉 - 犬飼小次郎 - 犬飼武蔵 - 犬神了 - 犬飼知三郎 - 山田サチ子 |
人物(SS編に登場) | 山岡鉄司 - 緒方勉 - 足利速太 - 国定忠治 - 木下次郎 - ハリー・フォアマン - 賀間剛介 - 隼走 - 星王光 - 義経光 - マドンナ(正岡華子) - 雲竜大五郎 |
他作品からの登場人物 | 球道くん - 中西球道 / 一球さん - 真田一球 |
その他 | 東京スーパースターズ - 四国アイアンドッグス - 弁慶高校 - ルールブックの盲点の1点 |
関連項目 | 水島新司 - 男どアホウ甲子園 - ダントツ - 新潟明訓高校 - 香川伸行 - どかべん |