喜多村緑郎
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喜多村緑郎(きたむらろくろう、本名・喜多村六郎、1871年7月23日-1961年5月16日)は、新派劇初期の全盛期を支えた女形、俳優。
東京市日本橋区(現・中央区)に薬屋の息子として生れる。1892年、北村みどりを名乗り、新派劇団「済美館」の伊井蓉峰の妹役で初舞台を踏む。同年、「青柳捨三郎一座」に入り、「喜多村緑郎」を名乗る。1896年、高田実らと「成美団」を結成し、大阪角座で写実的な新派劇を創始する。1905年にかけて、関西新派の基礎を作る。
1906年、東京に帰り、「本郷座」を拠点に活動し、新派劇の黄金期を支える。その時期には、伊井、河合武雄と並んで「新派の三頭目」と称された。1947年に芸術院会員、1955年に重要無形文化財となる。 弟子に花柳章太郎ら、孫弟子に清水章吾らがいる。