双三郡
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双三郡(ふたみぐん)は広島県に存在した郡の一つである。
消滅直前となる2004年3月31日の時点で以下の3町・3村を含んでいた。
2004年4月1日、全町村が三次市及び甲奴郡甲奴町と合併し新制の三次市となったため消滅した。
[編集] 双三郡成立(1898年10月1日)当時の町村一覧
- ●三次町(みよしまち)
- ●板木村(いたきむら)
- ○神杉村(かみすぎむら)
- ●川地村(かわちむら)
- ○川西村(かわにしむら)
- ○吉舎村(きさむら)
- ●君田村(きみたむら)
- ●河内村(こうちむら)
- ●作木村(さくぎむら)
- ●酒河村(さけがわむら)
- ○田幸村(たこうむら)
- ○萩原村(はぎわらむら)
- ●原村(はらむら)
- ●布野村(ふのむら)
- ○三良坂村(みらさかむら)
- ●八次村(やつぎむら)
- ○八幡村(やわたむら)
- ○和田村(わだむら)
(以上1町17村)
[編集] 沿革
- 1898年10月1日 三谿(みたに)・三次両郡が統合され成立する(1町17村)。郡名は統合対象の両郡ともに「三」という字が使われていたため、二つの「三」の付く郡からなるということに由来する。
- 1917年5月1日 原村が改称・町制施行し、十日市町になる(2町16村)。
- 1917年10月1日 吉舎村が町制施行し、吉舎町になる(3町15村)。
- 1921年6月1日 三良坂村が町制施行し、三良坂町になる(4町14村)。
- 1932年1月1日 三良坂町と萩原村が合併(新設合併)し、三良坂町が成立する(4町13村)。
- 1937年3月1日 十日市町と八次村が合併(新設合併)し、十日市町が成立する(4町12村)。
- 1948年12月1日 三次町が河内村の一部(日下〔ひげ〕・三原・山家〔やまが〕)を編入する(4町12村)。
- 1950年4月1日 高田郡粟屋村が双三郡に編入する(4町13村)。
- 1950年9月1日 川地村が高田郡甲立(こうたち)町秋町を編入する(4町13村)。※甲立町は現在の安芸高田市の一部。
- 1953年2月11日 吉舎町と八幡村が合併(新設合併)し、吉舎町が成立する(4町12村)。
- 1954年3月31日 十日市・三次両町及び粟屋・神杉・河内・酒河・田幸・和田各村が合併(新設合併)して市制施行し、三次市になる(2町6村)。
- 1954年11月3日 三良坂町が三次市皆瀬町及び三次市向江田町の一部(中之尾・横蔵の各一部)を編入する(2町6村)。
- 1955年3月31日 吉舎町が甲奴郡上川村の一部(知和及び安田・太郎丸の各一部)を編入する(2町6村)。※上川村の残部は甲奴郡甲奴町へ合併。
- 1955年3月31日 板木村が世羅郡津名村敷名、世羅郡上山村の一部と合併(新設合併)し、三和町になる(3町5村)。※世羅郡津名村の残部は世羅郡世羅西町(現:世羅町)へ、世羅郡上山村の残部は豊田郡豊栄町(現:東広島市)へそれぞれ合併。
- 1956年9月30日 川地村が三次市に編入する(3町4村)。
- 1958年2月11日 川西村が三次市に編入する(3町3村)。
- 2004年4月1日 吉舎・三良坂・三和各町及び君田・作木・布野各村が三次市及び甲奴郡甲奴町と合併(新設合併)して三次市が成立する。同日双三郡消滅。