勝岡寛次
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勝岡 寛次(かつおか かんじ、 1957年 - )は、日本の歴史学者。現在、明星大学戦後教育史研究センター勤務・同大学非常勤講師。専門は日本教育史。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院博士課程修了。日台交流教育会事務局次長。民間教育臨調事務局長。国語問題協議会評議委員。広島県出身。
1982年(昭和57年)のいわゆる教科書誤報事件の際、『朝日新聞』は既に誤報に気付いていたが、7月27日の紙面では検定によって書き換えられた記述の一覧表から件の箇所をこっそり外す以外何ら訂正謝罪の記事を出してはいなかった。勝岡は、首都圏の大学の教育系サークルの連合体である教育問題研究会学生連絡会議の代表としてデモ隊を率い、9月13日より朝日新聞本社を包囲、17日には伊藤編集局次長(当時)と会見した。伊藤次長は、誤報は認めつつも「謝罪はできない」「検定制度にこそ原因がある」と主張したが、19日の朝刊には読者の質問に答える形で誤報を認める記事を掲載した。勝岡らは、内容が不十分であるとして、引き続き抗議行動を続けたが、以降『朝日新聞』がこの時より踏み込んだ訂正記事を掲載することはなかった。(昭和59年3月8日発行『進撃 第6,7集』より)
勝岡は、大学院終了後は、明星大学戦後教育史研究センターへ勤務し、日本占領時代の米軍の極秘文書の研究を行なっている。
かつては新しい歴史教科書をつくる会の主要メンバーであり理事も勤めていたが、会の内紛により、2006年4月30日、当時の種子島経会長・八木秀次元会長らと共に会を去った。当時の名誉会長西尾幹二は、造反理事4人を「4人組」(勝岡・新田均・内田智・松浦光修)と名指ししたが、勝岡は『SAPIO』誌上(2006年7月12日号)でこれに反論した。2006年10月、つくる会と袂を別った元理事らは、八木を中心に日本教育再生機構を起ち上げ、今日に至っている。
小林よしのりは、2007年11月15日、教科書改善の会の主催する「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」に出席した勝岡が、"沖縄戦における日本軍による「壕追い出し」や「スパイ視殺害」を全てウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのせいにしてしまう"と書いている(「ゴーマニズム宣言第7章 沖縄のことなんかどうでもいい保守シンポ」『SAPIO』2007.12.26/2008.1.4号)。しかし、同シンポの内容を収録した『正論』(2008年2月号)の「白熱シンポ完全収録!沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」を見る限り、勝岡はそのような主張をしていない。また、勝岡は、他のいかなる論文においても、小林の指摘するような主張をしてはいない。そもそも勝岡の主張は、米軍に直接統治された沖縄では「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはなかった」(『沖縄戦集団自決ー虚構の軍命令』明成社)とするものである。
[編集] 著書
- 『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する―歪曲された対日関係史』(小学館、2001年)ISBN 4094023763
- 『韓国と歴史は共有できない―日韓歴史共同研究のまぼろし』 (小学館、2002年)ISBN 4094023771
- 〈監修〉『教科書から見た日露戦争―これでいいのか、日本の教科書』(展転社、2004年)ISBN 4886562558
- 『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』(明成社、2005年)ISBN 4944219377
- 〈監修〉『これだけは知っておきたい大東亜戦争』(北村芳正文, 明成社, 2006年) ISBN 4944219458
- 『これだけは知っておきたい日韓問題20のポイント』(明成社, 2007年) ISBN 9784944219476
- 『沖縄戦集団自決ー虚構の軍命令』(明成社, 2008年) ISBN 9784944219667