前秦
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前秦(ぜんしん 351年 - 394年)は、中国の五胡十六国時代にチベット系氐族によって建てられた国。国号は単に秦だが、この秦を滅ぼして起こった西秦と後秦があるために前秦と呼んで区別する。
氐族は、初め前趙の劉淵らに従っていたが、前趙が後趙に滅ぼされ、後趙が冉閔の乱により滅ぶと、氐の苻健は東晋に服属した。その後、東晋から独立し皇帝を名乗り、長安を手に入れる。東晋の桓温の北伐を受けるがこれを撃退し、陝西一帯に勢力を張るようになった。
苻洪の孫で苻健の甥にあたる苻堅は、明敏で博学多才な人物であり、苻生を倒して即位すると、漢人宰相の王猛を登用して内政の充実を図り、前燕・前涼・代といった国々を次々と滅ぼして華北を統一した。
383年に苻堅は南北統一を目指し、周りの反対を押し切り、総勢112万と号する東晋討伐の軍を起こした。だが、この前秦軍は漢族将軍でかつての東晋の梁州刺史の朱序が「堅、敗れたり!」と叫んで苻堅を裏切り、前秦軍はこうして大敗した。苻堅は弟の苻融と共に鮮卑族の慕容垂の軍勢によって守られて敗走した(淝水の戦い)。
前秦の力が一気に弱まった事を期に、国内の諸部族により後涼・西秦・後秦・北魏・西燕・後燕などの国々が独立した。
385年、長安の苻堅の勢力は壊滅し、庶長子の長楽公苻丕は晋陽で帝位を継いだが、翌386年、西燕に大敗して壊滅した。同年、一族の苻登が枹罕で即位し、一時的に攻勢に転じたが、394年、後秦に滅ぼされた。同年、苻堅の子であった苻崇は湟中に逃れて帝位を継いだが、鮮卑乞伏部の西秦によって完全に滅ぼされ、前秦は完全に滅んだ。