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出光佐三 - Wikipedia

出光佐三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年8月22日 - 1981年3月7日)は、石油元売会社出光興産の創業者。

目次

[編集] 来歴・人物

弟の出光計助は1966年10月から1972年1月まで第2代社長。長男の出光昭介は1981年6月から1993年5月まで第5代社長。また、九州地方でガソリンスタンドを展開する新出光(それまでは資本関係がなかったが、2005年に出光本体への出資が決定)の創業者・出光弘とも兄弟関係にあった。

[編集] 略歴

  • 1885年明治18年)8月22日 福岡県赤間村(現・宗像市)に生まれる。父は藍問屋を営む出光藤六、母は出光千代。
  • 1901年(明治34年) 福岡市商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)に入学。
  • 1905年(明治38年) 神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学。
  • 1909年(明治42年) 同校卒業。卒業論文は「筑豊炭及び若松港」。神戸で小麦粉石油を扱う酒井商店に丁稚として入店。学友からは、「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」と非難を受ける。
  • 1911年(明治44年)6月20日 日田重太郎から資金6,000円を渡され、満25歳で独立。その条件が一風変わっていて「ただやるのだから返さなくていい、利子もいらない。また、事業の報告もしなくてよい。君が好きに使え。ただ、独立を貫徹すること、そうして兄弟仲よくやってくれ。」というものであった。北九州市門司区に出光商会を設立。日本石油(現・新日本石油)の特約店として機械油を扱った。
  • 1914年大正3年) 南満州鉄道に車軸油の納入成功。
  • 1919年(大正8年)- 酷寒の地・満州で車軸油が凍結し、貨車のトラブルが続出してた南満州鉄道に「2号冬候車軸油」を納入することにより、事故を一掃した。1927年昭和2年)満鉄創立20周年のときに、感謝状と銀杯が贈られた。
  • 1923年(大正12年) 関東大震災に際し、全店員に禁煙を呼びかける(2ヶ月間)。
  • 1924年(大正13年) 第一銀行(現・みずほ銀行)からの25万円の借入金引き揚げ要請があったが、二十三銀行(現:大分銀行)の林清治支店長が肩代わり融資を決め、窮地を脱する。この頃、自殺説までささやかれる。
  • 1932年(昭和7年) 門司商工会議所会頭に就任。
  • 1937年(昭和12年)2月 貴族院議員(多額納税)として登院。以後、貴族院が廃止されるまで議席を持つ。
  • 1940年(昭和15年)3月 出光興産株式会社を設立。
  • 1945年(昭和20年)8月 出光佐三は、終戦の2日後、従業員に対し、「愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」と訓示した。当時、多くの企業が人員を整理する中、出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言した。
  • 1953年(昭和28年)5月9日 イラン石油輸入(日章丸事件)。日章丸二世(1万9千重量トン)が、石油を国有化し英国と係争中のイランのアバダンから、ガソリンと軽油を満載し、川崎へ入港。英国アングロイラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張し、東京地方裁判所に提訴したが、出光の勝訴が決定し、日本国民を勇気付けるとともに、イランとの日本との信頼関係を構築した。このとき、出光佐三は、東京地方裁判所民事九部北村良一裁判長に「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします。」と答えた。
  • 1962年(昭和37年)7月 生産調整に反対し、石油連盟を脱退(1966年(昭和41年)、生産調整が廃止されことを受け、復帰)。
  • 1966年(昭和41年) 出光興産の社長を退き、会長に就任。
  • 1972年(昭和47年) 出光興産の会長を退き、店主に就任。
  • 1976年(昭和51年) フランス共和国文化勲章コマンドール受章。
  • 1981年(昭和56年)3月7日 97歳で死去。

[編集] 特筆すべきこと

  • 小学校の頃から、神経症と眼病を病んだことにより、読書より自分の頭で考え抜く習慣を身につける。
  • 神戸高商の水島銕也校長が学生を子供のように接する姿勢から、大家族主義に対する確信を深めた。
  • 神戸高商の内池廉吉教授より、「今後、商人は不要になる。従来の投機的な問屋的商人はいらなくなる。」と聞き、商人の今後のあるべき姿として生産者と消費者の間で商品の円滑な流通にあたることを確信し、後に、大地域小売業を実践する。
  • 皇室を崇敬することが極めて篤く、死去したおりに昭和天皇が次の歌を残した。「出光佐三逝く 三月七日 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」

[編集] 関連事項

[編集] 参考文献

  • 『私の履歴書経済人1』(日本経済新聞社,1980年) - 昭和31年7月日本経済新聞社連載
  • 高倉秀二『評伝出光佐三』(プレジデント社,1990年)
  • 滝口凡夫『決断力[中]』(日本工業新聞社,2001年)
  • 水木楊『難にありて人を切らず』(PHP研究所,2003年)


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