内海安吉
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内海 安吉(うつみ やすきち、1890年 - 1976年4月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。宮城県鳴瀬町(現在の東松島市)出身。自民党衆議院議員で建設大臣、国土庁長官を務めた内海英男は長男。
1890年(明治23年)鳴瀬町小野の農家に生まれる。1910年(明治43年)日本大学法律科を卒業し、日本電報通信社に入社し政治記者となる。同社の京城支局員、大連支局長を経て、奉天公報社長、帝国新報社長を務めた他、内閣嘱託として、興亜院に入り、上海で勤務する。この間、帰国中に執筆した「産業立国策」が犬養毅に評価され1930年(昭和5年)立憲政友会から第17回衆議院議員総選挙に立候補するが落選する。その後も1937年(昭和12年)第20回総選挙、1942年(昭和17年)第21回総選挙にそれぞれ立候補するがともに落選した。
戦後は内地に引き上げ、1946年(昭和21年)戦後第一回目の総選挙となった第22回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。内海は鳩山一郎らの新党創設に参加し、日本自由党創立委員となる。自由党では党務部長、総務などを歴任する。保守合同後は自民党に参加し、建設政務次官、衆議院建設委員長や内閣委員長を歴任した。地元の北上川総合開発を始めとし、全国の河川や道路を現地調査し、土木政策に通じた。