兵庫県立星陵高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兵庫県立星陵高等学校(ひょうごけんりつせいりょうこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市垂水区にある県立高等学校である。
目次 |
[編集] 所在地
- 兵庫県神戸市垂水区星陵台4丁目3番2号
[編集] 設置学科
- 普通科
[編集] 沿革
[編集] 旧制第四神戸中学校(神戸四中)
- 1941年 4月10日 - 第1回入学式を神戸市神戸区(現・中央区)北長狭小学校で挙行し、ここを仮校舎と定める。
- 1941年 11月10日 - 神戸市須磨区(現・垂水区)高丸陵(現神戸市立垂水中学校地)に校地鍬入式。
- 1943年 2月11日 - 校舎建築地鎮祭。戦争中、極度に木材不足のため工事着工遅れる。
- 1944年 4月1日 - 未完成の垂水校舎に移転。
- 1945年 1月26日 - 海軍経理学校が本校へ疎開入居したため、南須磨、須磨国民学校に移転。
- 1945年 2月27日 - 第1回卒業式。第4学年185名卒業。
- 1945年 8月26日 - 仮校舎より本校に復帰。
- 1946年 2月3日 - 火災により全校舎焼失。
- 1946年 6月7日 - 応急校舎完成。仮校舎の県商より移転。
- 1948年 1月27日 - 文部省令第1条として高等学校設置基準公布。
[編集] 兵庫県立星陵高等学校
- 1948年 4月1日 - 兵庫県立垂水高等学校と改称。
- 1948年 5月13日 - 兵庫県立第一商業高等学校と統合決定し、県商校舎に移転開始。
- 1948年 9月1日 - 校舎付近一帯の丘陵の呼び名にちなみ、統合後の校名を兵庫県立星陵高等学校とする。
- 1948年 11月1日 - 兵庫県視学官 中田光雄、本校初代校長に補せられる。
- 1949年 3月5日 - 星陵高等学校第1回卒業式(普通科・四中第3回101名、商業科・県商36名)。
- 1949年 4月12日 - 小学区制、共学制最初の入学式(普通科244名、商業科115名)。
- 1953年 11月1日 - 創立5周年記念式典 記念誌発行 文化祭、体育祭を開催。
- 1958年 10月1日 - 80周年記念式典(明治11年神戸商業講習所開所から数えて)記念誌発行。
- 1962年 4月9日 - 商業科分離独立し、兵庫県立神戸商業高等学校を創設する。本校は普通科単独校として再出発。
- 1964年 2月27日 - 第16回卒業式 商業科最後の学年が卒業。
- 1964年 11月1日 - 創立記念誌第1号発行。
- 1981年 10月18日 - 創立40周年記念式典(明石市民会館大ホール)。
- 1990年 9月1日 - 校舎改築工事のため仮校舎(県立神戸商科大学跡)へ移転。
- 1991年 8月4日 - 創立50周年記念行事(神戸文化ホール)。
- 1992年 3月25日 - 新校舎定礎式。
- 1992年 3月26日 - 仮校舎から新校舎へ移転。
- 1992年 10月3日 - 新校舎竣工・創立50周年記念式典完成。
- 2002年 11月3日 - 創立60周年記念式典・記念行事。
- 2005年 4月1日 - 同窓会館完成。
[編集] 教育目標
- 生徒一人ひとりのニーズに応じた学習指導の徹底を図る
- 震災に学び、人間尊重の精神に基づく教育の充実を図る
- 進路指導の充実深化を図る
- 国際性を涵養し、共生と自主責任の心を育てる
- 恵まれた教育環境を教育活動に生かす
[編集] 特色
- 兵庫県神戸第3学区内の公立高校では兵庫県立長田高等学校に次ぐ進学校で、神戸大学や関関同立への進学者も多い。
- 私服での通学が認められている。ただし式典時は標準服を着用する必要がある。この場合の標準服とはあくまでも目安であり、一般的な制服とは異なるものである。
- 最寄のバス停留所は「星陵高校前」だが、かつては「商大前」と名乗っていた。商大とは「神戸商科大学(現兵庫県立大学)」のことで、1990年3月までは星陵高等学校の隣にあった。
[編集] 主な出身者
- 内橋克人 - 経済評論家
- 吉村信良 - 合唱指揮者、全日本合唱連盟名誉会長
- 南部靖之 - 株式会社パソナ代表取締役グループ代表兼社長
- 井上堯之 - ミュージシャン
- 生田敬太郎 - ミュージシャン
- 山田誉子 - タレント
- 駒田健吾 - TBSアナウンサー
- 上田崇順 - 毎日放送アナウンサー
- 西尾維新 - 作家
- 竜巻竜次 - 漫画家
- 井上恵美子 - 漫画家