兵庫県立明石高等学校
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過去の名称 | 明石市立明石中学校 兵庫県立明石中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 兵庫県 |
学区 | 兵庫県明石 |
併合学校 | 明石高女 |
校訓 | 自治・共同・創造 |
設立年月日 | 1923年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
学科内専門コース | 生命科学探求類型 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 28150G |
所在地 | 〒673-8585 |
兵庫県明石市荷山町1774 北緯34度39分28秒東経135度0分29.8秒 |
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電話番号 | 078-911-4376 |
FAX番号 | 078-911-4377 |
外部リンク | 公式サイト |
兵庫県立明石高等学校(ひょうごけんりつあかしこうとうがっこう)は、兵庫県明石市にある公立の高等学校。略称は明高(めいこう)。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 総合選抜導入前
旧制中学である明石中学の流れを引く地域の伝統校かつ進学校として知られていた。
[編集] 総合選抜時代
しかし、総合選抜制の実施とともに見る影もなく凋落し、人気・進学実績など長期間の低迷に陥った。2004年度より制服を一新。また、同校の同窓会である自彊会実施の各種補習などの効果もあってやや人気・実力を取り戻した感はある。 近年は再び進学に力を入れつつあるが、有名国公立大学への合格者数は伸び悩んでいる。しかし、関西の有名私立大学(関関同立等)への進学者数は増加傾向にあり、今後の動向が注目される。
[編集] 複数志願制の導入
平成20年度より総合選抜が廃止され、複数志願制への移行が決定しており、今後の巻き返しに期待がかかる。
[編集] 沿革
- 1923年 明石市立明石中学校開校
- 1928年 県へ移管、兵庫県立明石中学校と改称
- 1948年 明石高女と生徒を交流させ、兵庫県立明石高等学校となる
- 1956年 中部講堂竣工
- 1975年 総合選抜制度開始
- 1983年 美術科を設置
- 1991年 校舎改築竣工
- 2008年 生命科学探究類型を設置
[編集] 学科
全日制課程
- 普通科
- 美術科
[編集] 校訓・建学の精神
校訓は「自治・共同・創造」の3句であり、かつての生徒主体の自由な校風を今に伝えている。
建学の精神は「自彊不息」であり、これは易経の「天行健、君子以自彊不息」に由来し、むしろ校訓よりもこちらの方が在学生・卒業生には馴染み深い。同窓会の会名「自彊会」もこれに由来する。
[編集] 部活動
- 野球部:全国高等学校野球選手権大会出場6回、全国選抜高等学校野球大会出場8回の古豪である。近年はそれほど目立った成績は残せていないが、旧制明石中学校時代の昭和8年に開催された全国中学校優勝野球大会準決勝での中京商と延長25回の激闘はいまだに語り継がれる伝説の試合。
- 男子ソフトボール部:近年力をつけてきている部活動の一つ。平成17年,平成18年と全国大会出場を果たしている。
- 男子ソフトテニス部:団体戦のインターハイ出場は近年ないが、県内では強豪校である。2007年には個人でインターハイ出場を果たしている。
- 剣道部:男女ともに県内の強豪校に数えられている。特に女子部の活躍はめざましく、2007年には全国総体個人の部で2年連続出場を果たしている。
[編集] 卒業生
学界
- 二木康之(佛教大学保健医療技術学部長・医学博士)
- 寺坂宏一(慶應義塾大学准教授)
- 佐々木知子(帝京大学教授・弁護士)
- 角所収(大阪大学名誉教授)
- 木村健(アイオワ大学医学部名誉教授)
- 春成秀爾(国立民族博物館教授)
財界
スポーツ
- 楠本保(野球選手)
- 河西俊雄(元プロ野球選手)
- 大津淳(元プロ野球選手)
- 柏木敏夫(元プロ野球審判)
- 永井智浩(元プロ野球選手)
- 柴田佳主也(元プロ野球選手)
- 正中岳城(バスケットボール、トヨタ自動車アルバルク選手)
その他