六道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教 |
---|
基本教義 |
縁起 四諦 八正道 三法印 四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 |
人物 |
釈迦 十大弟子 龍樹 |
如来・菩薩 |
仏の一覧 |
部派・宗派 |
原始仏教 上座部 大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教 中国の仏教 |
韓国の仏教 日本の仏教 |
経典 |
聖地 |
八大聖地 |
ウィキポータル 仏教 |
六道(りくどう、ろくどう)は、仏教用語で、死後に転生するという6種類の世界のことである。それぞれ以下のとおり。
目次 |
[編集] 概説
仏教においては、この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により6種類の世界のいずれかに転生し、これら六道で生死を繰り返すと言う(六道輪廻)。たとえ天道であっても苦しみの輪廻する世界を脱することは出来ない。諸行無常の原則により、どの世界に生まれ変わろうとも何時かは死に絶え、別の世界(或いは同一世界)へ転生する宿命とされる。上記6種の世界は、須弥山世界観等においてはしばしば空間的領域として捉えられる。
なお一部には、天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という。
右上資料画像の図のような輪廻を表した絵ではそれぞれ、
- 怪物と骸骨 - 縁起の根である無知(無明)と無常
- 外周の円環 - 人の行い(縁起)
- 次の内側ドーナツ - 六道(この絵では天と人と阿修羅が同じ場にある)
- 最も内側の円環 - 人
- 真ん中の円 - 苦しみの因なる怒り(蛇が象徴)と無知たる愚かさ(豚)と貪欲さ(鳥)
を表している。
六道には、観音の導きによりその世界から救われるという来世的な観音信仰が生まれ、それぞれ6つの役割をもった観音が救うとされた。これを六観音と呼ぶ。なお天台宗と真言宗では人間道における解釈が異なり、不空羂索観音と准胝観音がそれぞれ置かれている。七観音と呼ばれる場合はこの2観音を含めた観音のこととなる。
六道 | 真言宗の六観音 | 天台宗の六観音 |
---|---|---|
地獄道 | 聖観音 | 聖観音 |
餓鬼道 | 千手観音 | 千手観音 |
畜生道 | 馬頭観音 | 馬頭観音 |
修羅道 | 十一面観音 | 十一面観音 |
人間道 | 准胝観音 | 不空羂索観音 |
天道 | 如意輪観音 | 如意輪観音 |
[編集] 死生観の相違
悟りを開き仏として目覚める事(涅槃)は、主に生存活動の最中において為され、単純な死を契機とはしない。涅槃は死後に別世界にて生まれ変わる現象とは根本的に意味合いが異なり、仏専用の別世界が用意されている訳ではなく、釈迦に代表されるように、仏として目覚めた後も死亡(入滅)までは従来の世界で暮らし続ける。涅槃は六道と比較すると、精神的領域だと解釈出来る。
また、浄土教等に見受けられる浄土なる世界は、六道輪廻確立より更に後代の思想である。浄土は死後に行き着くと言う点では六道と共通するものの、六道輪廻の思想で説かれる世界観とは基本的に別物である。仏が存在する世界が即ち浄土だと位置付ける事が可能で、六道の内のいずれか一つに限定されている訳ではない。
[編集] 六道一覧
- 天道
- 天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれては居ない。天人が死を迎えるときは五つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。
- 人間道
- 人間道は文字通り人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、仏になりうるという救いもある。
- 修羅道
- 修羅道は修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
- 畜生道
- 畜生道は牛馬などの世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、人間に使役されほとんどなされるがままという点は自らの力で仏の教えを得ることの出来ない状態であり、救いの少ない世界とされる。
- 餓鬼道
- 餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると灰となってしまい餓えと渇きに悩まされる。前世において他人を慮らなかったために落とされた例がある。旧暦7月15日の施餓鬼会はこの餓鬼を救うために行われる。
- 地獄道
- 地獄道は生前の罪を償わせるための世界である。詳細は地獄を参照のこと。
このうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。
また六道から修羅を除いて五趣と称すこともある。初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。これは当初、修羅(阿修羅)が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。
[編集] 歴史
仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。
インド・中国起源ではないが、日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。