今井清
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今井 清(いまい きよし、1882年9月10日 - 1938年1月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
[編集] 経歴
愛知県出身。今井惟清の三男として生まれる。名古屋地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1903年11月、陸軍士官学校(15期)を卒業、翌年3月、陸軍少尉に任官し歩兵第6連隊付となる。1914年11月、陸軍大学校(26期)を優等で卒業した。
歩兵第6連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、スウェーデン駐在、デンマーク駐在、陸軍技術本部付(欧州出張)、陸大教官、歩兵第80連隊長、参謀本部演習課長、同作戦課長などを経て、1930年8月、陸軍少将となり歩兵第30旅団長に就任。陸大教官、陸大幹事、参謀本部付などを歴任し、1934年8月、陸軍中将となった。
参謀本部第1部長を経て、陸軍省人事局長に在任中、相沢三郎中佐に永田鉄山軍務局長が斬殺され(相沢事件)、後任の軍務局長に就任。陸軍兵器本廠付、第4師団長などを経て、日中戦争勃発時には参謀次長であった。兼陸大校長、参謀本部付を経て、1938年1月、病により死去した。
[編集] 家族親族
- 二男 今井義郎(陸軍少佐)