京城高等商業学校
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京城高等商業学校(けいじょうこうとうしょうぎょうがっこう)は、1922年3月、日本の植民地だった朝鮮に設立された旧制専門学校。通称は京城高商。
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[編集] 概要
- 京城高商の前身は東洋協会によって設立された東洋協会専門学校(拓殖大学の前身)京城分校である。この分校が本校から独立して東洋協会京城専門学校、さらに私立京城高商への改組を経て官立専門学校となった。朝鮮総督府の所管学校であり、本科が設置された。
- 日本統治時代の朝鮮に存在した専門学校の中で唯一「内地人」教育を掲げる学校だった。
- 第二次世界大戦中に京城経済専門学校(京城経専)と改称された。
- 日本の敗戦に伴う廃校ののち、韓国人によるソウル経済専門学校として再発足し、ついで商科大学としてソウル大学校の一部に組み込まれ(現:経営大学)、現在に至っている。
- 卒業生により同窓会「崇陵会」が組織されている。
[編集] 沿革
- 1907年10月:東洋協会専門学校(台湾協会学校の後身校)京城分校として設立。
- 1915年8月:本校の改称に伴い東洋協会植民専門学校京城分校と改称。
- 1918年4月:本校の拓殖大学への昇格に伴い東洋協会京城専門学校として独立。
- これをもって学校の創立としている。
- 1920年5月:私立京城高等商業学校に改組。
- 1922年3月:官立京城高等商業学校に改組。本科を設置(修業年限3年)。
- 1922年4月:官立としての開校。
- 1941年12月:修業年限が2年9ヶ月に短縮され第22回生卒業式が繰り上げ実施。
- 1944年4月:京城法学専門学校を併合し京城経済専門学校と改称。
- 1944年:この年度より修業年限をさらに2年6ヶ月に短縮。
- 1945年8月:日本の敗戦に伴い廃校。
- 1945年10月:韓国人によるソウル経済専門学校として再発足。
- 1946年8月:国立ソウル大学校を構成する商科大学となる。
[編集] 歴代校長
前身である東洋協会京城専門学校・私立京城高等商業学校の時期、および経済専門学校への改称後の時期も含む。
- 初代:吾孫子勝(1918年4月-1921年3月)
- 京城専修学校(のちの京城法学専門学校)校長と兼務。
- 第2代:鈴木孫彦(1921年6月-1921年3月)
- 初代の専任校長。
- 第3代:岩佐重一(1928年3月-1939年4月)
- 第4代:山本智道(1939年4月-1943年4月)
- 第5代:兼安麟太郎(1943年4月-1945年8月)
- 1944年4月より京城経専校長。
[編集] 校地
[編集] 関連書籍
- 京城高等商業学校(同経済専門学校)同窓会崇陵会 『京城高等商業学校創立70年記念文集;一粒の麦』 1990年
- 稲葉継雄 『旧韓国~朝鮮の「内地人」教育』 九州大学出版会、2005年 ISBN 4873788846
- 第13章「京城高等商業学校」。
[編集] 関連事項
他の官立高等商業学校についてはCategory:高等商業学校を参照。