五十嵐めぐみ
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五十嵐 めぐみ(いがらし めぐみ、1954年9月18日 - )は、愛知県出身の女優。血液型A型。本名:岡恵実(おか めぐみ 旧姓 平松(ひらまつ)) 所属事務所:愛企画
[編集] 経歴
名古屋市東区出身。実家は当初印刷会社を経営し、後に喫茶店を営んでいた。愛知淑徳高校を卒業後上京し、喫茶店等で働きながら松浦竹夫付属演劇研究所で演技の基礎を学ぶ。
TBSのポーラテレビ小説「さかなちゃん」のヒロイン役が五十嵐めぐみとしてのデビュー作であるが、それ以前には森田めぐみの芸名で活動。森田時代には少年課刑事を主人公とするドラマ「事件ファイル110 甘ったれるな」にレギュラー出演したり、松方弘樹主演の東映プログラムピクチャー2本にも端役で出演している。 さかなちゃん終了後にはTBSの「ムー」、「ムー一族」やNTVの中村雅俊主演「青春ど真ん中」、テレビ朝日土曜ワイド劇場枠で天知茂主演の「江戸川乱歩の美女シリーズ」にレギュラー出演。
当時の女優としては168cmと背が高く、そのスリムな体形とボーイッシュな魅力が個性となっていた。また、「GORO」(218号1983年6月23日号)、「週刊プレイボーイ」(1975年9月2日号、1977年1月11日号)などの雑誌にてヌードを披露したこともあるが、「江戸川乱歩の美女シリーズ」ではついに脱ぐことはなかった。
五十嵐めぐみとなってからは映画では三浦友和主演の「残照」、中村雅俊主演の「坊ちゃん」に脇役で出演していたが、1983年の「せんせい」で初の(今のところ唯一の)主役を演じた。
結婚引退前の映画出演は他に、萬田久子のデビュー作「夏の別れ」がある。
1983年に仕事がきっかけで交際していたカメラマンのケン影岡(本名:岡紀彦(おか のりひこ))と結婚し引退。10歳以上年の離れた相手との結婚であったことや、仕事も順調であったことから家族、所属事務所ともに大反対されたが信念を通した。しかし、1988年5月に夫が癌で死去したことがきっかけとなり、その後女優に復帰した。
復帰後はテレビドラマや商業演劇の舞台、バラエティなどにもコンスタントに出演。当初はブランクの影響からか年齢の割りに固さが目立ったが、現在は若い頃の面影を残す容姿をたもったベテラン女優として活躍中。また近年には徹子の部屋に出演し、長男がLD(学習障害)であることを告白した(徹子の部屋には、その後2度出演)。この告白がきっかけとなったのか、自らの半生を綴った「ありのままで」を出版。前後して、長男の育児の経験をもとにした講演活動も積極的に行っている。
[編集] エピソード
- 結婚前の本名は平松恵実であり、五十嵐姓は母方の姓であることを自伝で告白している。(幼少時に両親が離婚しているが、父親の籍に残っていた)
- 森田めぐみ時代に出演した東映作品は松方弘樹主演の「暴力金脈」(共演:小沢栄太郎)と「強盗放火殺人囚」(共演:若山富三郎)で、いずれも短いシーンであるがヌードになっており、お色気担当としての起用であった。
- 週刊プレイボーイ誌では2度ヌードグラビアで登場しているが、2度目の写真素材は森田めぐみ時代に撮影されたものであり、「さかなちゃん」主演で人気者となったことにより、再度掲載された。(このことは当時別の週刊誌でスキャンダル的に報じられた)
- 若い頃は「勝気で男勝りだが可愛らしい」という役柄を得意としており、「さかなちゃん」「ムー」「青春ど真ん中」「美女シリーズ」などは同様路線での出演が続いた。(2007年の舞台「松井誠奮闘公演」でひさしぶりに男勝りの大工の親方を演じている)
- 土曜ワイド「江戸川乱歩の美女シリーズ」では、助手の文代役を好演。同役はその後、高見知佳、藤吉久美子が演じたが、原作の文代(原作では明智の妻)と小林少年の雰囲気をあわせもった演技は、現在も文代=五十嵐の評価となっている。
- 土曜ワイド劇場の初期の出演者の中で、現在もレギュラー作品を持っている稀有な存在である。
- デビュー当初は天知茂の事務所アマチプロゼに所属。担当マネージャーであった吉川愛美と独立して現在の所属事務所でもある愛企画に移籍した。愛企画には宅麻伸も所属している。
- 亡夫のケン影岡はヌード写真を得意としていたが、70年代初期には日本のロックバンドのアルバムジャケットも多く手がけている。
- 女優がバラエティ番組に出演することが少なかった時代に一度結婚引退したこともあってか、復帰当初に出演したバラエティ番組ではぎこちない面があり、テレビ東京のクイズ番組でまじめに答えたにもかかわらず全問不正解だったこともある。
- 復帰後に出演した宮沢りえ主演「スワンの涙」には柏木由紀子も出演しており、一部から「未亡人救済番組」という心無い表現をされた。
- 映画「ビーバップハイスクール」に出演という記録がインターネット上に見受けられるが、これは五十嵐いづみの誤り。